「檻の泉の彼方に」




「檻の泉の彼方に」 2008    

2008年 ギャラリー58 個展



2008年、1年3ヶ月ぶりにギャラリー58で個展を開催しました。


2007年の個展「断象と印片」では主にドローイングを写した写真の上にドローイングを施した「絵×写真×絵」シリーズと、その素になったドローイングを大量に飾った実験的な細かい展示でしたが、今回は空間全体で1つの主題を表現する、といった課題に主に取り組んだ展示となりました。


「絵×写真×絵」シリーズのような作品一つ一つの技法などの追求よりも、紙にドローイングしたものやただの写真といった技法的にはベーシックかつシンプルな素材を使い、それをどう空間で構成するかといったことに気を傾けた、今までよりもインスタレーション的な感性を重要視した展示となりました。



展覧会の題名は「檻の泉の彼方に」。これは、いままで一貫して追求してきた「境界」についての考察の延長にあります。
非常に感覚的につけた題名ですが、合理的な枠に閉じ込められている固定概念の<檻>から一歩抜け出して、あらゆる固定概念が確定する前の「境界」の状態に立ち戻ったりすることで、何かの「予兆」的な、そして「根源」的な感覚を感じてもらえる(=人によってそれぞれイメージが拡がる、イメージの発生装置)ような展示にしたいという思いがある題名です。



ドローイングは、「断象+印片」の細かいドローイングで出た様々なイメージを、大きな画面でもう少し意識的に固めつつ、要素を洗練させる方向で描きました。写真もいくつか飾りましたが、それらは、日常の具象的なものが写されているのに露出を非常に高めているために、何の物体だか分からなくなっています。つまり、ここでも「境界」まで行くことで日常の概念がイメージの発生装置的なものにすり替わることを意図しています。


それらのドローイングや写真・文章などを素材として1つの空間にて構成し、いかに色々な角度からそれぞれの観客が色んなイメージを拡げてもらえるようにするかということを意識した展示でした。









                    








すべては徴候であり、メタファーであり、メッセージに過ぎない。

ぬめっとした肌触り、すきっとした何ものか。

檻の中で死闘が繰り返されているような気にさせられている、と思ったら、

なにかがぶらさがっている。

でも、それぞれは完結し、分裂し、ぶら下がっている。

はぐらかしをはぐらかすことにはぐらかされている気持ち。

そして、みんな生きていくのだ。

泉の彼方に。