「ほつれる髪の毛が糸」 2009年



「ほつれる髪の毛が糸」 2009年
 
(Nroom artspace 個展)



2007年頃より、非常に私的な、断片的なドローイングを多く水彩紙などに描くようになりました。今までの作品が「日常の視点を変えてものを観る悦び」を様々な形で提示することだったのに対して、自分の内面的な嗜好、志向、思考が直接的に湧き出し、自分でも不思議だと思う形態やモチーフが現れてきました


それは今までの、距離を置いたスタンスの作品とは、かけはなれています。しかしむしろ自分の固定観念やどうしようもない嗜好が前面に出て来るのを敢えて認識することで、かえって行き詰りつつあった自己を解きほぐす作業となりました。



ドローイングという非常にラフで私的なものを大量に制作していると、客観的に人に何かを提示するといったことを考えず作品を創るようにもなりました。
この「主観的」で「私的」なドローイングの集積の中で、これまでの「客観的」なスタンスで創っていた作品群との、共通している部分を探し出してみる。
そうすると、面白いことに自分は殆ど明確な「具象」絵画を制作していないということに突き当たりました。



それはしかし、まるで○○のように見える、といったような、何か具体的なものを連想させるようなことまでは否定していない。具象的でありながらも多義的なイメージが拡がるものや、抽象形態や色彩の構成、画面のリズムの中での「具象的」形態、というところを模索しているように見受けられるのです。

ここまで来て、「具象」と「抽象」という<境界>を主題にし続けている自分を発見し、それが初期の写真の作業や、地図の作品、近年の写真絵シリーズに至るまで通奏低音のように流れていることも認識することになりました。分かるようで分からない。でも、こんなものに見える。いや、私はこんなイメージで観た・・・



つまり、一貫してイメージの発生装置を様々な角度や切り口を使い、考え、提示しているということなのではないかと思っています。





                 





「ほつれた髪の毛が糸−臨界」ドローイング・水彩紙/2009         「ほつれた髪の毛が糸−臨界」ドローイング・水彩紙/2010
  
                                        






2009 山本浩生: ほつれる髪の毛が糸  現代美術のウェブマガジン カロンズネット ほぼ毎日更新 2009年9月20日更新 より引用



山本浩生はその創作活動において幅広いジャンル、テーマ、形態を求めて制作を続ける知的好奇心旺盛なアーティストです。具象とも抽象とも取れる形体、日常と非日常との境界。曖昧なものを曖昧なままに提示し、時にはぐらかし、相対する概念を対峙させることによって、特定の価値観を保持し、特定の回答を示す事に慣れた私達の既成概念に小さな波紋を生じさせます。その混沌へと招き入れられた私達が思うのは、既成の概念から解き放たれた心地よさでしょうか、それとも新たなものに対する恐れや混乱でしょうか。その“言葉遊び” 的な性格も感じさせる山本の表現を、“絵遊び” とでも名づけ、何処に漂着するのか分からない彼の世界に身をゆだね、漂流してみるのも一興ではないでしょうか。




作家コメント
私は、写真や絵(ドローイング)、木材、地図など様々な媒体を使い、主に「境界」ということをテーマに作品を制作しています。その「境界」は、たとえば日常と非日常の境であったり、抽象と具象の境目であったりもします。普段自明のものとして確立していた概念が、対立する概念にぶつかったり、今一度その概念<以前>の状態に戻ったとき、危険なものにもなりうるかもしれないといった不安や恐怖と同時に、新しい<何ものか>を発見する期待が、うずまきます。その不安と恐怖、そして期待のドキドキ感。それはある種恋にも似ているかもしれない。それを僕はあえて「エロティシズム」と呼んでみたい。 
それを常に、様々な角度で、そして色んな感情や方法で、追い求めるということ。