根拠



・最近独りで居る時間も心地よい。余り所在がないということがないからであろう。何か自分の根拠と云うかそういうのがしっくり来たみたいなのである。しっくりくるまでの半年間以上久しぶりに悩みぬいた。完全に自分の根拠を見失っていたのだった。悩んだ挙句、根拠と云うものが自分の「なか」にあるものだということも判らずやたら外にだけ求めすぎていた、ということに気がついたのがよかったのかもしれない。
自分の「なか」の根拠はやはり自分で形作っていくものなのだと思うが、「そと」の事象や人間については、基本自分の意思でどうなるでもないということを前提にした上で付き合っていくのがいいということなのかなと最近思う。自分の信念やこだわり、または愛情友情(その他あらゆる気持ち)などが、いくら強かろうが、いくら正しかろうが、どうにもならんときはどうにもならん。意外とそういう事を判ってもらおうと、押し付けない(見返りを求めない)ときのほうが、どうしようともおもわないのに、自然とそうなっていったりするものなんだろうな。


・愛情も友情も評価も、他人や世間をどうこう考えて気を揉むよりも、先ず何より自分のことを如何に納得いくようにするかというのが先にこなくては駄目だ。ただ寂しがっていたらだめなのだ。人の「所為」にしていたらだめなのだ。自分と先ずじっくり対話できる時間を大切に出来ることだ。


・独りで家に居て、日が暮れて、すっかり暗くなると、暖色の電球が意識を限定させてくれるようになる。その限定の中で、絵を描く。文章を書く。本を読む。勉強をする。音楽を聴く。・・・たまに人から連絡が来る。ふと、連絡してみたりする


・きょうはカッペリー二、バジルソース風味。


・一人旅をしたいと思う。関西、四国あたり。ゴールデンウイークは混むので、その後あたりに。でもお金との相談。(やはりもう一つくらい仕事を入れるべきなのだ。でも、その前に)