砂肝、精神、高井戸




・昨日とうってかわって朝から何だか疲れ気味で、複雑なことを考えたくない感じがする。もう専門学校が休みに入り仕事もないので、ベローチェで読書をした後に、写真を撮りながら高井戸くらいまで自転車でぶらぶらする。其のあとOKに買い物に行き、好物の砂肝や鶏肉を買う。砂肝はいつも買う日向鶏のではないやつだったので、少し味が落ちる。おなじ鶏なのに、砂肝ひとつとっても、味が違うと云うのはどういうことなんだろう?勿論餌の上げ具合だとか遺伝などの掛け合わせだとか、環境などで違ってくるのだろうけれど、身体のひとつひとつの部位まで美味しさがかくも違って居ると云う事実を改めて考えてみるとぞっとする。人間に当て嵌めるともっとぞっとする。人間もそれくらい違っているのだろうか?やっぱり脳みそひとつとっても、かくも違ってしまうのだろうか?嫌な連想をしてしまう。矢張り今日は余り精神的にも良い状態ではないかもしれない。