キュレーターのはなし


・Y美術館のキュレーターのK氏に色々話を訊く。
その話の大筋のメモ。


東南アジアの美術が今勢いがあるように思うという。何故ならば、民族や宗教や階層など様々な人々が異種混合しており、或る意味国際的になっているという。日本とは違って地続きなので、国境をまたいで、「東南アジア美術市場」というような大きな範囲での市場が生まれているらしい。そしてそのなかで影響力のあるアーティストが、工房のようなアートコミュニティを形成したりして、同時に若手も育成しているという。しかも、そのような影響力のあるアーティストがひとりではなくて、何人も出てきており、それぞれがそれぞれの街において、コミュニティを形成しつつあるという。結果的に、小さな山がいくつも出来て、相互に刺激をするような理想的な環境ができつつあるらしい。
そして、彼らは国々の特殊な法律(たとえば同性婚のようなものが死刑だったりするような国もある)のなかで或る意味命がけでアートをやっており、その国の政治状況や生活などからの必然性のあるキレッキレの緊張感のある表現がある、と。
欧米の芸術は、どうしても今までの芸術の文脈からの表現から逃れられず或る意味行き詰っているようにみうけられるし、或る意味ハイアート化してしまっているのに対し、政治や生活など「現在」の状況からの必然性のある表現があるわけで、そのリアリティは説得力のあるものだという。
日本や欧米にない生活に直結した危機感が原動力になっている、と。


では、同じアジアのなかでも、韓国や中国の状況はどうなのか。韓国は、90年代以降急速に欧米文脈の現代アートの概念が若い世代に根付いたらしい。その結果、それ以前の保守的でアカデミックな公募展のような美術が主流だった前世代と殆ど全くと云っていい程隔絶感があるという。
そして、若い現代アートを学ぶ世代は、多数海外へ行ってしまうという。つまり韓国本国には人材が残らず、現代アート自体の主だった潮流などがあまり生まれる状況にないという。結果、市場がない、と。しかしながら、韓国では修学旅行などで、現代アートの展覧会?などを観たり学ぶことを国策で定められているらしい。
要するに、まだ現代アートが本格的に広がったのが90年代なので、韓国では根付いていないということだろう。その点、中国では文化大革命終結以降から、現代アートの歴史と云うのが生まれてきたわけで、40年の歴史があるわけであると。しかし政治体制も独特であり、東南アジアや日本とはまた違った市場として独立している。


日本はやはり海に囲まれているのもあって、東南アジアのように国をまたいでの市場が生まれにくい、と。ほんとうは地方都市それぞれに主要なアーティストを中心としたアートコミュニティや工房のようなものが出来て、小さな山がいくつも出来ていくといいのだが、どうしても一極集中してしまう傾向にある。だがたとえば名古屋ではかつて櫃田伸也氏を中心とした独自のコミュニティが形成され、独自のアーティストを輩出したように、可能性はないわけではない。
こういうのは、国や県や市などの助成金などを頼っていてはだめである。何故ならば助成金などを受け取ると、その施策に沿った表現に縮こまってしまう可能性がある。特に直接支援されるようなものは影響力がおおきくなってしまうだろう、と。国や自治体が出すのであればもっと中間媒体のようなものを充実させて、そこが独自に運営したうえで支援するのであればよいだろう。ワンダーサイトやバンクアートなどはそうした中間媒体として機能している。だが、その組織に下りるお金が最低限の事業費だけで、人件費は殆ど考慮されていないという。結果、最低限の人材が有り得ないほどの過労働で、やっと運営しているという状態で、維持するのがやっとというのが現状である、と。それは美術館などでも同じであるらしく、何らかの抜本的な対策をとらないとじりじりと縮小の一途をたどっていくだけになってしまう。


・アートのボランティアと云うのには反対であるという。例えば2005年の横浜トリエンナーレではごたごたがあって、結局窮余の策として市民ボランティアに手伝ってもらって何とか開催にこぎつけたが、これは「無償労働」に等しいものになってしまっており、これはけしからんと。たとえばインターンのように、これからアーティストを志すような若者などに無償で手伝わせるのとはわけが違うだろうと。なぜなら彼らは、これから志すという将来の目的がある。だが、単なるボランティアは、そのような目的がないわけで、対価がなにもないわけであろう、と。外国のアーティストたちはこのような現状をみて、何故このひとたちは仕事でなく無償で手伝っているのだろうと不思議がっていたという。