湯たんぽ、布団、読書、眠り



冬は寒いので湯たんぽを買った。これはなかなか効力を発揮し、足が冷えず寒い思いをしなくて眠れるようになった。寝る前に読書をするのだが、電燈の目盛を「暖色」の一番暗いものに設定する。
「常夜灯」スイッチでは少し暗すぎて読める状態ではなく、この設定がギリギリ本を読めるけれども、またそれでいて程よく眠くなってくるような明るさなのである。枕をふたつ重ねて、横向きになりながら本を読む。決まって右側に身体をかたむけて、右目を閉じ枕に埋没させ、左目のみで読む。なんだか両目で読書しないと眼が悪くなる気がするので両目で読もうと努力してみたこともあったけれども、どうも右目は既に老眼が入っているらしく、片目のみで読むほうが長続きするから、結局ずうっと左目だけで読んでいるわけだ。いや、しかしそもそも老眼のように右目が悪くなる前からこのように読んでいたような気もする。要するに右目が左目同様まったく悪いところがなくても、寝る前は両目で本を読むよりは片目のほうがしっくりくるということかもしれない。要するにこういうやり方でもう何年か本を読み続けているのだけれど、幸いなことに左目は一向に視力が落ちる気配はない。
もちろん昼間読書をするときは両目で読書をするのだが、その時はあまり右目の「ぼやけ」は気にならない。無意識に両目でよんでもぼやけないような位置で読書しているらしい。

布団に入ったばかりは身体と布団がなかなか馴染まないのでごそごそ動いたりして、少しずつしっくりするように模索する。だがそれをやりすぎると、馴染むことばかりに意識が集中してしまい、たとえば布団カバーと中身の布団がずれていたりするのがやたらと気になったりして結果的に頭が冴えてしまうという事態が発生するわけである。そういう、寝るためのことを意識し過ぎないためにも、寝る前の横になっての読書と云うのはなかなか効果的なのである。
寝る前の読書はどういう本がいいかというと、それはその時々に因るが、やっぱり寝る前に読める本とそうでない本がある。例えば円城塔の小説なんかは寝る前に決して読むものではないが、志賀直哉の短編は睡眠前にうってつけである。特に中年から晩年のほんとうに短い文章がよい。また、日記とか箴言集とか、あとは食べ物に関する記述を読むのも睡眠に効果的だったりする。

良い感じに眠りに入れるときは、文章の一区切りつく直前位に眠さがいちどピークになり、それでもあともうちょっとだから読もうと、少し眠りに抵抗しながら最後まで読み切る。それがいちばんベストである。眠りに抵抗しながら努力して読み切ったという安心感で、意識がぱたっと眠りに移行できるからである。読書から眠りに移行する途中に、たとえば「さあ眠ろうか」などという雑念が入ると、ふたたび頭が冴えてしまう余地ができてしまうのであまりよろしくない。
とにかく、読書は、眠くなるまでする。眠くなって、それでもちょっとだけ抵抗して読み進め、ああもう寝よう、と思えたところでリモコンを使い電気を消して、そのままの態勢で眠りにつくわけである。