荻窪 



異界と異界のハザマに存在する荻窪という街は、健全すぎるほど健全すぎる場所である。


高円寺・阿佐ヶ谷、そして荻窪を挟んで西荻窪は、云わずと知れた中央線テイストの最重要スポットとして脚光を浴び、喫茶店は夜二時まで開き、勿論酒場は零時を過ぎてからが本番といわんばかりにいつまでもいつまでも賑やかである。しかし不思議と六本木や新宿などの不夜城とは全く違うのんびりしてラフな、どこまでも安全な街であることは変わりなく、荻窪もその例外ではない。


しかし、荻窪のみは夜が早く来る。駅前のルミネショッピングは夜の八時に閉まり、同時にくっついているタウンセブンだって八時に閉店だ。飲み屋もそんなに遅くまでやっている印象はないし、何故荻窪だけ早いのかは疑問である。しかしながら中央線の気取らない豊かでおおらかな気風は街全体に拡がっており、ただのベッドタウンではない「文化」が根付いている感触は確かだ。



あらゆる意味で肩肘張らず自然なのだが、かつて井伏鱒二太宰治とかが住んでいて阿佐ヶ谷と並んで文豪村といわれただけあって、何かが<厚み>がある。荻窪の南口には近衛文麿邸である「荻外荘」もあるし、日本における音楽評論家の草分けで『バッハとシェーンベルヒ』等で名高く、「ドビュッシーの最初の評伝らしい評伝を書いた最初の人物」(wikipedia)である大田黒元雄旧邸の、大田黒公園とかもある。勿論大田黒公園も気品がある庭園で彼の自宅やピアノが観られたりもするしとても心地よいのだが、その周囲に拡がる落ち着いた高級住宅街の豊かな庭木には驚嘆させられる。
また、杉並中央図書館の蔵書は、芸術・文芸分野全般に亘り特にレベルが高く、研究職や学者にとっては非常に心強い場所となっていることが察せられる。また、前川國男建設設計事務所が設計した名作・公団阿佐ヶ谷住宅と並び称される(まではいかないけれど、公団住宅としては素敵な)荻窪団地もあったりして、南荻窪は粋な文化人の知られざる棲み処である。
その高級感が、田園調布のように前面に出てきていないのが粋なんである。 あ、そうそう、そして忘れてはいけないスポットがひとつ。「ささま書店」。何気なくあらゆるジャンルの<通>の本を揃え、それも比較的安価であるのが好ましい。中央線一、バランスの取れた優良古本屋といった趣きだ。この本を読んでいる方には、荻窪の近くに住んでいなかったとしても、是非一回は行ってほしいところである。


また荻窪北口方面は、南よりはラフな印象があるがそれでも落ち着いた良い住宅街が延々と続いていて、深夜でも人々はみんな穏やかな顔をして歩いている。清水にある井伏鱒二邸も健在だし、メインストリームの名称・「教会通り」の元になっている荻窪教会(プロテスタント)とか天沼八幡神社熊野神社といった古来の宗教施設も自然に地域に根付いており、神社ではよくお祭りをやっている。また杉並公会堂を近頃新規改装し、「クラシックの街荻窪」を前面に出して、いつも「教会通り」ではクラシックを流している。
それよりも何よりも、駅前にあった焼き鳥屋「鳥もと」が駅前再開発でなくなってしまったのは残念だ。
(正確には近くの別の場所で営業しているのだが。)あの荻窪駅の地上に出た瞬間に、ビールケースの上に簡単に板を乗っけただけの、まさに「戦後」「高度成長」から変わらない雰囲気を保ったまま繁盛していたやきとり屋が2009年8月を以て移転してしまったのは、荻窪史上、大変な事件だったのであった・・・仕事から帰って、地下にある改札を通り過ぎて、エスカレーターで地上に出た途端に、あのニオイが!!。
もうイチコロである。ふらっと、半透明なビニールの暖簾をくぐれば直ぐにもうビールを頼んじゃう。そして、ハツ六本!!。ここのハツは、ほんとうにデカクてとろけるように美味い。そんなハツとかほかのやきとりとかを頼みながら、通勤帰りの波とか駅前ロータリーのバスの動きだとかを眺めるのは、この「鳥もと」だけしかできない・・・昭和二十七年からの「鳥もと」。もうあんな感じの店は二度と都心の駅前には出店できないのであろう。荻窪が失ったものは甚大だ。



さて、冒頭に荻窪を「健全すぎるほど健全すぎる街」と評した。そう。健全すぎるのである。
まず第一に、警官がやったらと多い。とにかく街中をくまなく見守っている。あまりに巡回しすぎていて逆に怖いくらいである。まあお陰で泥棒とかは少ないし、真夜中に女性が歩いてもこんなに安全な街もないので、あまり煙たがるのもどうかとおもうが、しかし多い。
まあ警官が多いだけなら良いが、駅前の自転車放置に対する処置が余りにも厳しい。これは異常だ。朝は、通勤客がみんな自転車を放置していったらたまらないので厳しく撤去するのは当然だとしても、午後一時〜四時くらいまでの一番買い物などに出やすい時間帯にも一時間に一回は撤去カーが来襲する。おまけに駅前の駐輪場はどこも満杯。
ルミネやタウンセブンの駐輪場もなんだかごちゃごちゃしているし、一時間に百円ずつ取られていくためうっかり一日でも置き忘れようものなら直ぐに三千円くらい取られたりする。おちおち自転車で気軽に買い物にも出られない。杉並区、そして荻窪周辺は住宅街でしかも比較的平坦な道が多いので自転車はとても便利だし、主婦層も非常に多い。(それに自転車はとてもエコでもある。)
そんな場所だからこそ自転車が多くなってしまうのだが、いっそのこと区が駅前に十階建てくらいの無料駐輪場を作るべきなのではないか。昼下がりの街中の自転車を、たった三十分や一時間とかで放置自転車と決め付け悪の象徴にしたてて、それをいいことに何千円もとるのは納得がいかない。もう少し自転車を優遇することで街を活性化する手立てを考えるべきだと思う。


健康食品の店やお惣菜の店が林立し、まさに主婦のための聖域のような荻窪。「鳥もと」も駅前から撤去されてしまって、ますます中央線的な雰囲気でなくなっていくのは寂しい限りである。