自分は自分でしかない




このごろなんだか自己啓発本のようなことばかり考えてしまうが
まあ仕方ない。それを書き出してみることもいいではないか。




「自分」というのは、好きでも嫌いでもない。
だって、全部自分の眼と身体から世の中を見ているし、考えているからだ。
その装置に、好きも嫌いもないだろう。


きょう、職場の友人達と三人で飲んだ。


「人をある日突然、すごく生理的に嫌いになってしまう自分が<嫌い>だ。
 でも、そういうことで人を嫌っていたらきりがないので、ちょっと時間を
 おいてみてみる修練をしている。相手を、いい部分も悪い部分も直視していく
 修練して、それを受け入れようと努力している」


飲み仲間はそう言った。
たしかに彼女の云っていることは良くわかる。


しかしながら、まず自分を<嫌い>というところから出発していること
を忘れた物言いだ。
まずそこからして考えないと、いくら修練しても、結局
「人を生理的に嫌いになってしまう」悪循環を
抜本的に解決できない気がする。




自分の一番嫌な部分、ダメな部分、いやらしい部分、醜い部分・・・・
そう思い込んでいるものから、自分の最良な部分と思い込んでいるものまで、
まるごとそっくりプラスマイナスもなく、「受け入れる」=直視することが
大切なのではないか。


自分のことが「受け入れられない」のに、ましてや相手を「受け入れる」ことなんて
出来ないのではないかと思う。
自分が「嫌い」のままなのに、相手の一番嫌な部分ダメな部分いやらしい部分
醜い部分などを「嫌い」でなく受け入れ直視して愛せるはずはないとおもう。




まずは自分を直視すること。