人生の〆切とは行かないまでも



・〆切があったほうが良いのだ。「それ」に向かってやるという事では。


・人生にも〆切がある。三島由紀夫はついに、人生の〆切を自分で設定までしてしまった。彼は細かく細かく〆切を徹底して設定することによって超人的な物量の書き物を残し、〆切日にちゃんと自分で死んだ。ここまでくると、〆切マニア(狂人)だ。ゴッホはやってくる〆切を感じるからこそ、絵を描くときも文章を書くにも、おそらくすごい集中力で描き(書き)まくったのだろう。精神病で自分を失っている時間がある、その時間は段々増えていく、という自覚が、正常に戻ったときにあったということ。だんだん冒されていく自分。「終わり」がみえると、ある意味わき目をふらずにやるのだろう。夏目漱石も、考えに考えすぎて、なにか「終わり」を垣間見たのだろう。後半の創作の山は、考えすぎて崩壊しそうになる自分を取り留めるために、書いたようなところがあるような気がする。しかし、書いても書いても、やはり「崩壊」にむかっている自分を自覚せざるを得ない、その自覚が、〆切を予感させているのだろう。人生の〆切を垣間見ることで、人は結果的に「天才」と呼ばれるモノになるのかもしれぬ。


・人生までいかないけれど(行ってしまったらやだよね)、〆切を自分で創れるようになるとすごいと思う。能動的に〆切を創って、それに対して無条件に責任を負う。でもまずは、外から設定される〆切のなかで、自分の〆切を細かく設定していく「きっかけ」を創ることは、できるようだ。すごく面倒くさいけれど、苦しいが自分が常に刺激を受けて生きていくためには、快楽を得るためには、その「きっかけ」を感じ取り、できるだけ自分で責任を請け負うということ。


・高熱にうなされて、救急車にて運ばれているときは、何か自分の身体が全然自分じゃないみたいだった。自分も単なるなんかの「装置」として機能しているんだなと身体で思う。