パーティー。80年代といま。



・昨日は横浜の友人達とのパーティー。ちょうど季節がかに座なので、誕生日を祝ってもらう。きのうはTさんやYさんが来れなかったので残念だったが、またの機会に。本町ビルがなくなってしまったら、もうあのようにして気軽にみんなでくつろげなくなってしまうかもしれない。もしかしたら本町ビルでのパーティーは最後かもしれないなあと思いながら。今回はNKの企画のもと、みんなで寿司のネタを持ち寄って食べるというもので、非常に豪勢な刺身盛が出現。みんな食べきれないくらいであった。ぼくはヒラマサ、ワラサ、イワシの刺身を持っていく。




・なんでぼくにとって今の世の中がしっくりこないのかが宮沢章夫の著書を通じて納得できたような気がする。



宮沢章夫東京大学「80年代地下文化論」講義』 白夜書房 より以下抜粋


「不合理」こそが「ほんとうの豊かさ」

 「西武セゾングループが持っていた脆弱さ」というのは、きょう、ここまで話してきた全体の脆弱さのものの中にあると思うんですね。上澄みだけみたいなところで動いていて、その実体はいったいなんだったかというと、実はなんにもなかったのかもしれない。
 そうは言っても西武セゾングループが果たした一定の役割はあったし、それによって動かされる文化というのもあった。そこから生み出される新たな文化というものも当然あったはずですけど、そうした現象をひどく憎悪していた人たちが80年代に存在し、それがおそらく「六本木ヒルズ」を生んだというふうに、僕には見えてしかたないんです。

 以前も話しましたが、いかにしていま、「合理」だけを高い価値として社会が進んでいるかということに対して、それにあらがい、「不合理」をいかに獲得するか、いまの文化の中で「不合理」というのはなにかということを掘り直さないと文化というものは育たないし、そうでなければ「ほんとうの豊かさ」はないんじゃないかと僕は考えます。


・・・ぼくは、やはり「不合理」のひとであるということ。
・大相撲の「不合理」がかくもいじめられるのも、今の時代を覆う「合理」性なんだなと思う。なるほど、「合理」のひとからすると、ひどく憎悪するくらいのレベルだったのか・・・