練馬美術館、口内炎、バックハウス



・ぽかあんと、何も頭に浮かばないときは浮かばぬ。そのときの心持としては、ただ日常が過ぎていくというテイなのだが、そんなときのほうが意外と日日にストレスが溜まっていないこともある。かといって、いろいろなことがぐちゃぐちゃありすぎて頭の中が纏らずに書き出せないこともある。


・このごろはその両方が訪れながら、暑さにやられながら、けっきょくなにもしっくりした大仕事が出来ずにいるような気がする。この間のアラザル4号の文章を書いて以来、なにか纏って創造的な仕事をカタチに出来ていないので、なんとなく焦っているのかもしれない。

・そんなこんなで、前回の日記からあっという間に五日間、六日間経つのだ。
・32歳、はや二ヶ月目になってしまう。


・この2日か3日くらい、口内炎が出来て、食欲が落ちた。バックハウスベートーヴェンピアノソナタが聴きたくなった。このことが物語るのは、僕はだいぶ疲れているということなのだ。疲れているときほど、何故かバックハウスベートーヴェンピアノソナタ(特に後期)を渇望するように聴きたくなるのは何故か。不思議なものだ。そして、ずーっと流していると、ぐちゃぐちゃしたり憔悴していたりいらいらしていたり呆然としていたりして漫然と散らかっていた心が、ずれていたところから元通りのところに一つ一つ丁寧に戻してくれるのだ。今回も例外に漏れずにこれを聴いてから、なにか生産的な気分になり、踏ん切りをする体力を得て、そしてこの日記から少し生産的なことを始めようと思うのだ。




練馬区立美術館で開催されている中村宏展に行く。ほんの少し前、中村氏とはINAXでばったりと会った。昨年手術した父親の病状や、実家の引越しの件などそつない話を簡潔に話した。彼は、昔よりも非常に若返っている。確かに若返っている。
父親の親友にして飲み友達でもある彼の名前は昔から親しいものであった。あまり付き合いが良いとはいえない父親が、飲むといってはかつての仕事場の同僚であった「中村先生」と飲みに行くのであった。家にあまり(というか殆ど)友人を連れてこない父親である(僕が生まれる前は良くつれてきたらしいが)。その結果、その友人の「中村先生」の顔は、大人になるまで良くわからないまま育った。幼い僕の中で認識されたこと、それはただ、父親の親友といえば「中村先生」であった、ということだけである。

僕の2005年のときの個展であった。地図の上に、地図よりも細かい不定形な形態を描くことによって、完成された「地図」にさらに新たなイメージと多義性を付加するといったコンセプトの作品を展示していたのだが、何故かやけにその作品を褒めてくれたのが印象的である。父親に訊けば、普段友人の息子だとか知り合いだからといって決して甘い評価をしない、常に厳しい批評的な視点で観るひとだということなので、嬉しいのだが、なにがそんなに気に入ってくれたのだろうと思っていた。
元からコアな世界では有名で非常に評価されていたということなのだが、2007年の現代美術館の個展 http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/19 で、彼は美術界でひじょうにメジャーな存在になり、若い人でも誰でもふつうに知っているようになった。一時期、母親が彼のことを元気がない感じがすると心配していたのを憶えているのだが、この前後から驚くくらい若返ってしまい、現在ではとても78にはみえず、65、いや60といってもいいくらいである。

現代美術館での展示の前までは、「中村先生」の作品といえば、いつも現代美術館の常設展の一番最初のほうに飾ってあった「砂川五番」しかしらず、その土臭い絵は、あまりに1950年代であり、失礼ながらも、もうとっくのとうに過去の画家なのかと思い込んでいたのだが、いやはや、現代美術館での彼の足跡をみて驚いた。これは凄い!!。父親の飲み友達くらいにしか認識していなかったのを根底からひっくり返されたのであった。
超絶的テクニックで、対象、世相、絵画、印刷物、個人・・等々を写真的、地図的、メタ、システマティック、記号的、そして怜悧な視点で、<機械>的に精密に「解剖」して自在に表象している彼の作品群にただただ圧倒されるばかりであった。
しかし、これだけ纏った展示を観ていても、どうしても「砂川五番」http://www.zugajiken.mot-art-museum.jp/page.php/27 の、あまりにもその「時代的」でありすぎる絵画(※)と、現実の中村宏=「中村先生」と最近までの仕事が結びつかずにいた。僕の「地図」の作品を褒めてくれたのもいまいちすごく納得できるわけではなかった。それと、そもそもどうしてうちの父親がそんなに話が合うのかというのもいまいち腑に落ちなかったのであったのだが、今回の練馬区立美術館での展示に行って、ずっと漠然としていたそれらの疑問が一挙に、すっと解決したように感じたのである。
その「感じ」が、ほんとうにどこまでそうなのか、ということを確かめるために、今度展示最終日の九月五日にあるトークイベントに行ってみようと思っている。

http://www.nerima-artmuseum.com/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%AE%8F


(※)メモ・・知識なしでは、時代的で「ありすぎる」、というところが徹底的にメタな視点=ルポタージュ絵画であるということに迂闊にも気づけなかったのだ!それは、裏返せばあまりに中村氏がメタな視点としてそういう<技法>を駆使できていたのに気づかないほどテクニカルだったということだと思う)




・とりあえず仕事が一段落して連絡をくれたHと、古本屋に行った後西荻坐・和民で呑む。

・自転車修理。Tとバーガーキング。マック。



・父親とジョナサンでお茶。中村宏の個展を契機として、今一度父親のことも見直してみる良い機会だとおもった。いったんそう思ってみると、会話がいままでとちょっと違った切り口から話せて興味深かった。