デザ学、豪雨、画廊、南海、工藤



・明け方、豪雨。昼間、茅場町、銀座、原宿にて画廊めぐり。夜、代々木でデザイン学会。


・元南海の大道と、元オリオンズの堀が引退。南海とオリオンズ所属の選手はこれでひとりもいなくなる。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101203-00000640-san-base この記事によると、昭和に入団した選手は工藤、山崎、山本昌くらいだという。最後に「まさに昭和は遠くなりにけりである。」と結んでいるが、ぼくが相撲とともに祖母と観始めた頃の野球の選手は、工藤だけになってしまった。たしかファミスタ86年、87年にも工藤は居た気がする。なつかしい。このころのライオンズのメンバーでは、一番石毛、二番辻、三番秋山、四番清原、五番ブコビッチ、六番伊東、七番田尾、八番金森・・・って感じだった。ピッチャーは郭、渡辺、東尾、松沼兄弟、そして工藤!!ほんと隔世の感である。
ちなみに巨人は、一番松本、二番篠塚、三番クロマティ、四番原、五番吉村、六番中畑、七番山倉、八番岡崎って感じだったかな。ピッチャーは江川、角、鹿取、西本、水野、そして新人の桑田。小さい頃の記憶はほんとうによくわすれないもんだ。