涼風散歩




・専門学校。静物。前期最終課題。此処でどれだけやりきれるか。


・そのあと新宿御苑ベローチェ中野坂上へ散歩。大変心地よい涼風が吹いている夕方。きのうとは違い、頭が痛くなく、爽快。やはり、あれは熱中症だったのか。




このフロッデン・ロード六番地の家は、テムズ南岸のオーヴァル(ケニントン)という地下電気の駅から徒歩で二十分ほどのところにあった。途中、両側に貧民窟が延々とつづいているかなり広い道がカンバーウェル・ニュー・ロードで、そのはずれ近くを西側(右手)にはいったところにあるややましな住宅地が、フロッデン・ロードである。角は兵営で二番地・四番地を占め、煉瓦造り三階建ての六番地は、さらにフロッデン・ロードがハルスメア・ロードという小さな路地と交叉する角屋敷であった。熊本の住居といい、ロンドンでの下宿といい、金之助が住むにあたって角屋敷を好む性癖を示しているのは、やはり無意識のうちに角屋敷だった牛込馬場下の生家へ回帰しようとしていたためか、あるいは外界に露出されている*1場所に自己を確認しようという欲求のためか、そのいずれにも通じる理由のためか、にわかには断定しがたい。しかしこの選択に、金之助の内部に深く隠された心理的傾斜が反映していることはたしかである。

漱石とその時代』 第二部 江藤淳 新潮選書 p98 



漱石(金之助)がロンドンに留学していたときに、転居した彼の家から推測した、心理分析。この文章をちょっと読んだだけでも、江藤淳の半端ないリサーチと、「漱石」以上に彼自身の内部を抉りとろうとするくらいまでの人間観察力と、想像力がみっしり詰まりに詰まっている。個人の心理的内部と、歴史と、社会と、土地と、世界をここまで緊密に描写し、考察した江藤淳。彼以外には、こういう描き方は、そう滅多には出来ないだろう。


「研究者が育てば、研究対象も、それにつれて育つというような緊密な関係が、評家*2漱石との間に結ばれている」 小林秀雄



・たしかに、不動産選びは、その人の何かが出るよなあ。こないだMRYとそんな話をしたばかりだ。やはり東急田園都市線沿いに住んでいると、やはり其処に住み、杉並中野辺りに住んでいれば、やはり其処に結局はそうなってしまう。うちの両親は、結局生まれ故郷が東京から違うところだったために、あっさりと鷺ノ宮から、「新興住宅地」に転居できたのだろう。引っ越してから十ヶ月たつが、ちっとも違和感を感じていないみたいである。




*1:傍点

*2:江藤淳