徒然千夜0003










蚊に喰われて蚊になり、さらに蚊に刺された話








ねていると蚊がぷうんと来たので、パシッと叩いたとたんに何だか身体がおかしくなった。明らかに重くなって変な感じだと思ったら、手が蚊になっていて、そうしたら足も背中もお腹も何から何まで蚊になっていて、口に血を吸う注射針のようなものまで完璧に生えていた。これはまいったなあと、まずは布団を撥ね退けようと生えたばかりの羽で思いっきり羽ばたいたら、あっという間に重たい身体は狭い部屋に浮かび上がった。と同時に天井にぶつかり、床に落ちた。蚊になったことはなったのだけれど、身体の大きさは人間の時のサイズとおなじくらいか、もうちょっと大きいくらいだった。


何でこんな風になったんだろうと冷静に考えてみれば、あの、パシッと叩いた瞬間に、僕は蚊に喰われてしまったんだろうという考えにまで至る。文字通り、僕は蚊に喰われてしまったんだ。というよりももう少し厳密にいえば、蚊は僕を呑みこみ、僕を呑みこんだわけだから、人間のときの僕よりもすこしだけ身体が大きくなったということなんだろう。併し、あまりにも呑みこんだ僕が蚊より大きかったから、僕の肉体が、僕の肉体によってでっかく伸びきった蚊の肉体を隅々まで占領したってわけなんだろう。だから、僕は突然にして表面的には蚊になったように感じられた、というわけなんだろう。





丸呑みも、余り急激にやりすぎれば、こんなことになるのだ。蚊は、一瞬、僕に勝った。僕を呑みこんだ。併し、自分に比べて余りに巨大なものを一瞬にして呑みこんだがゆえに・・勝ったと思った瞬間に、僕に身体を全部占領されてしまったというわけだ。蚊よ。焦らず、分をわきまえて少しだけ血を吸えばよかったのに。でも、それだったら、ただ単に僕に殺されるだけだったか。


・・・そこまで考えたところで、身体が物凄く気持ち悪くなってきた。余りにも血を吸いすぎたし、だいたい無理して僕を呑んだわけなんだから、一瞬にして身体全体が膨張しきっているわけだ。どうりで、全身が痛いわけだ。そう思えば思うほど、身体はどんどん痛くなってきた。耐えきれなくなって、再び思いっきり羽を羽ばたかせると、身体はふっと持ちあがり、網戸をぶちやぶって、外に出る事ができた。しかし、身体は重いし、痛いし、そう長く飛行できるものではなく、それに長く飛行する仕方なんてまだ判らなかった。うまく着地する仕方も判らないまま道路に墜落しそうになったときに、あえなく車に轢かれた。


大量の血が道路いっぱいに拡がった。そして、消化しきれなかった人間の僕がまるごと、蚊である「僕」の腹の中から、投げ出された。その、人間の形をした僕は、血だらけになりながら、「苦しくて窒息しかけた・・」などと独りごとをつぶやいていた。蚊である「僕」は、その光景を観て、ああ、人間の方の僕は助かったんだなと思う。破れた腹は、もうもとには戻らない。段々薄れていく意識の中で、もう最期なんだな、と呟いた。





どれくらい時が経ったろうか。僕はふたたび、風呂場の中で意識を取り戻した。全身に嘘みたいにこれ以上ないほどの真っ赤な血がついていたので、取り敢えずシャワーで流した。直ぐに血は落ちて、清潔な身体になった途端に、僕はものすごい疲労感に襲われて、ベッドに倒れ込んだまままっぱだかで寝てしまった。網戸が破れたままだったので、藪蚊のカッコウの標的にされたらしい。朝起きたらかゆいところだらけ。