銀座








・昨日は六本木の新国立美術館にお世話になっている方々の展示を観た後、銀座でお世話になった方の個展にも行く。ちょうどその個展ではパーティをやっていて、ワインやサンドウィッチ等を御馳走になって、歌も聴きながら、良い気分で銀座の街に出る。銀座末廣でラーメンを啜る。そんなに美味しいと云うわけではなかったが、空腹を満たすには決して悪くない味である。しょうゆラーメン。
http://r.tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13019995/
空腹を満たすと酒も抜けてまた元気になる。気候も頗る良い。少し銀座から赤坂見附あたりまで久しぶりに歩いてみようかと思う。
銀座から有楽町、そして内堀通り。右手に皇居と日比谷公園。深閑とした暗闇の皇居と、二重橋方面に走る自動車の群れ、光の筋。工事中の赤だの青だのの明り。規則正しい点滅。涼やかな風。どんどん歩いていくと、ほとんと人影が居なくなり、警官たちがたつ警視庁を抜け、殆ど車のはしる音が只管ごうごうと続く道になる。半地下状になっている首都高を見下ろす。ごうごうの音が身体を包み、段々感覚が痺れて来る。
ぐちゃぐちゃと思考していたのが次第に解けて、それがすっとうまい具合に楽になる気がする。孤独なのだけれど、車だけはびゅんびゅん通り過ぎる。其処にはみんな人が載って居るのだ。この感覚はなんだろう、人が居るのにいない。併し動いている、自分は立ち止まって居る。赤い電灯の下で写真を撮る。
旅行の帰り、東京の灯をみるとほっとするのを思いだす。自分の人生を走馬燈の如く振り返る様な気分になる。ふと原初的な感覚。自分が細胞にまで還元されたような。
ふと我に戻る。最高裁判所に出る。この拒絶する巨大なコンクリートの塊。その前の、柵。先程までの高速道路のあめ色の光とうってかわり、真っ白いと云うよりも青みがかった水銀灯が塀の中を照らしている。峻厳な城の如き異様な場は、夜の闇にまぎれても少しも衰えることなく、人を圧倒している。
麹町に出る。赤坂見附に出るつもりだったが、ふと気が変わって、国会議事堂や官邸のほうに行かずに、首都高速を傍らにひたすら右に歩いて行った結果である。赤坂見附の交差点を或る歩道からみた夜景はほんとうに綺麗だが、今回は首都高速の音をとったということだ。
暫く歩いていくと、四谷に出る。四谷にも思い出はたくさんある。いろいろ過去を辿る。そしてその道を歩く。歩んできた道を歩く。反芻する。なぞる。



・今日もとても安定した秋の気候。1年のうちで一番すがすがしく、気分が良い季節が到来したのだ。空も穏やかな雲が浮かび、夕焼けも、とてもやさしい色をしていた。虫の鳴き声も晩夏よりも激しくなく、しんみりと鳴いている気がする。久しぶりにグールドのゴールドベルク変奏曲(1955)を聴くと、穏やかな心に潤いが生まれる。掃除をする。植物の剪定をし、相撲を観る。



琴奨菊日馬富士を破り12勝目、大関昇進を確定した。土俵に上がる前待機しているときに、取組で縺れて落ちてきた力士にぶつかって、少し膝を気にするしぐさをみせたが、かえってこのことが緊張を紛らわすのに役にたったのかもしれない。いつものルーティンワークである、制限時間いっぱいのときに花道の非常口の電光掲示板に視点を合わせるのもやっていた。これで冷静になれるらしい。たぶんイチローのスタンスをとりいれたものだろう。そのあと、ぐっと背のびをして、さて仕切り。
その仕切りの時の眼が、やばかった。半端なく集中している、あの眼。この男、うわ、やってしまうな。と思ったら、日馬富士を一気に寄りきった。あの眼はすごかったな、一瞬だけだったけれど。


把瑠都白鵬の一戦も見応えが十分の大相撲であった。稀勢の里琴奨菊に連敗して調子を落としている白鵬だからこそ、把瑠都と力(相撲勘)が拮抗して、大相撲になったともいえる。普段なら把瑠都がいちばん力を出せる形にはならないはずなのに、がっぷり四つになってしまった。あれま、白鵬不用意だな、これは馬力と馬力勝負であれば把瑠都に分があるのかなと思ったら、やはり流石横綱、馬力勝負でも把瑠都に負けて居ない。把瑠都に吊られる場面もあったけれど、一瞬で、結局把瑠都白鵬を寄りきれずに押し戻された。その時点で把瑠都の余力はなくなっていたとみえる。こうなれば技では数段上回る白鵬が負けるはずはなく、あっさりすそ払いで決まった。