しゃあない





・朝地震で目覚める。そのままカーネーションを寝床でみる。今日は土曜日だった。不倫騒動は今週でおしまいである。併し、この不倫はあまりにもせつない。不倫ともよべないくらいである、先週今週のカーネーションは、なけてばかり。近藤正臣もいいし。最近はNHKのドラマがものすごく踏み込んだものばかりで、よい。役者も一流かつ適役なひとがおおいとおもう。昔は、官営放送って感じで無難だったりかたすぎたりマンネリズムだったりしたし、一昔前は、民放のまねって感じで気持ち悪いし不自然なことも多かったけれども、この頃のNHKのドラマ作りには「クオリティー」と云うものを感じることが多い。(ただし去年の「江」はぶっとんでいたけれど。まあ、別の意味で面白かった。)
ただ、辞めてほしいのは、露骨な宣伝。うざいくらいに番組の宣伝をやるようになったし、受信料だ何だ、しつこすぎる。
副職に行き、夜、ベローチェ。昼から夜にかけて断続的に制作を行う。あまりしっかり眠れなかった為もあり、非常に疲れる。感情の波も不安定。十一時ころより安定。元気が恢復。




・嫌われることを恐れるなとは云うけれど、じぶんのスタンスを責任もって自覚できていなければ、それはただの「反抗」とか「駄目」になってしまうこともある。じぶんのスタンスを責任持ち自覚し、それから尚且つおのれを表現できること。必ず万人に好かれることなどないのだから、そう云う立ち位置を明確にすればするだけ、しぜんに敵も多くなるだろう。また、味方もできるだろう。
どちらも、ほんとうの意味での敵と味方になる。


・そうでない場合は、「媚び」か「優柔不断八方美人(あやふや)」か「反抗」でしかない。つまるところ、相手にされなくなってしまうのではないか。最終的に敵も味方も居なくなってしまうのではないか。そのループで安住して抜けだそうと思わなければ。




・容赦なく批判してくれたり、批評してくれたり、ある感情をもってしっかりと向かってきてくれる人と云うのは、ありがたいものである。否定であれ肯定であれ。「無視」、でも、感情が迸る無視と云うのもあるけれども。


・例えば無視されようが何しようが、おのれを失うことなく、悠然とかまえつつ、併しじぶんに常に疑問を持ち続ける、と云うこと。



・思い切り、や、飛躍。それの感性を研ぎ澄ます。直観。そして理性。孤独であることを恐れないで、慌てないで、粛々と実行する。動揺しない。動揺してしまったとしてもだらだらと動揺し続けない、と云うこと。



・だいぶ、削ぎ落とされてくるところも多くなってきた。やさしさだけでは済し崩しであるし、厳しさだけでもこころが痩せる。たとえばじぶんの好きなひとの前でも、もちろんじぶんで居続けると云う適度な客観性。
でも、たまには愚痴ってもいいじゃないか。何が起こっても、だらだらと動揺し続けず、あるところで、まあしゃあないと思えること。腹を括る。