逡巡






・いつもこの時期になると出費が増える傾向にあるので、少し節制しないととは思うのであるが、どうしても本やCDを買ってしまう。こう毎日買っていていいのだろうか。百円だと云っても重なれば相当の出費であるのに。でも、仕方がない、こればっかりは。今日は一冊少し高いのを買ってしまった。ベルンハルトのグールドの小説も欲しいのだが、それは高すぎる。暫く節制して買おう・・・でもそのころには売れてしまっているかと思うと・・。


・最近安く大量に俳句や詩の、オーソドックスだが非常に良いセレクトの古本(文庫)が手に入ったので(誰かが亡くなったか引っ越したのだろう。たぶん年配の人だ)、寝る前などにちょこちょこ読んでいるが、非常に愉しいひととき。これこそ、「楽しい」と云う字よりも「愉しい」と云う漢字がしっくりとくるのである。とは云え、最近「たのしい」は基本全て「愉しい」に統一しているのだが。
因みに、「居る」「憶える」「醒める」「判る」「云う」「処」「其処」「択ぶ」・・・のほうが私としてはしっくりくる。文体や漢字のつかいかたで云えば、夏目漱石谷崎潤一郎井伏鱒二三島由紀夫江藤淳吉田健一・・・更にはama2k46のつかいかたの影響も受けたのだと思う。基本的に旧字体、漢文、文語調なものが馴染む。いずれにしても、このつかいかたのほうが好きなのである。私の漢字のつかいかたや文体の大まかな方向性はアラザル4号所収「相撲回憶録」辺りから固まってきた感がある。


当然詩にも俳句にも、好き嫌いが出てくるのだが、じぶんにとって「しっくりくる」ものがみつかると、其処からじぶんの「ものさし」ができるようになる。すると、色々判じられるようになってきて、面白く愉しくなってくるのだ。どんな分野でもその「しっくりくる」ものをどれだけみつけられるか。そうすると、しっくりくるなかでも、色々違うしっくりのきかたがどんどん出てくるので、その世界が立体的になり、更に興味深く掘り下げていくことができる。







・購入
『写真と日々』 清水穣 現代思潮新社
『現代芸術の原像』ヴィジョンと神話 H.デーミッシュ 佃堅輔訳 法政大学出版局
アメデオ・モディリアーニ』 キャロル・マン 田中久和訳 PARCO出版