「聞文」の、朗読のための文章






平成二十四年、八月三日、金曜日





・7月まで忙しかった仕事が8月になり、ようやっと落ち着いて、自分のやるべきことが出来るような時間が確保されつつある。体調も、ここにきてすこぶる良い。この二日ばかりは、異常な程の猛暑である。外に出るとすぐに、頭が焼け石のように熱くなる。二時間ほどしか外に出ず、あとは冷房のきいた部屋で制作をしたり、部屋の整理等をして過ごす。余りにも暑いので、外の植物も枯れ始めてしまう。といっても昼間に水をやると、今度は植木鉢に注いだ水が直ぐにお湯になり根を痛めてしまうらしいので、夕方から晩にかけて、水をやることにしている。夕方、夜に差し掛かるにつれて、熱風の中にも徐々に涼しい風がちらほらはさまるようになってくる。ミンミンゼミが啼き、ようやく夏らしい夏、8月らしい8月がやってきたと実感する。
併し、制作や仕事などは寧ろこれくらい暑いほうが捗る。クーラーの単調な音と冷気が、ただひたすら意識を内向的に仕向けるのだ。外の酷暑から隔てられ、密閉され、無時間的な、安定した室内。これほど意識がなにか局所的なことに集中できる環境もないのではないかと私には思えるのである。




・今日は朝、カレー。昼はすき家。夕方、ズッキーニを買ってきてオリーブオイルで炒め、パスタにそれを和えて食べる。パスタは1キログラム179円のトルコ製だったが、まずまず美味。バナナ4房、計12本分買ってきて、皮を剥き、割り箸を刺し、アルミホイルに包んで冷凍庫に入れる。5時間後には計12本分の「バナナアイス」が出来るだろう。
夜、10時半を廻った現在、あしたの『聞文』の為の原稿を書き始める。ほんとうは8月1日に書き始めたのだけれども、1500字書いたところでちょっと行き詰ってしまったので、もう一回書き直すことにする。ちょうどこの日記を書き始めたので、この日記に繋げて何か書ければよいな、と、少し気楽に考えてみることにする。
10時過ぎ、『聞文』主宰のKNと10分くらい話す。原稿を書き進める。そのはずが、なかなか書き進められない。密閉され、無時間的で、安定した室内の中で集中するはずだったのだが、言葉通りとはいかないようだ。気晴らしに、twitterfacebookをみる。ふとオリンピックが気になる。アーチェリーの決勝があるらしいのだが、チャンネルを回しても、どこもやっていない。卓球の、石川と福原ペアがアメリカを2対0でリードしている。テレビを消す。
音楽でも流そうか。柴田南雄の<ふるべゆらゆら>をかけてみる。この「音楽」は冒頭からなんと「お経」が流れるのである。ずっとお経なのではないかと思っているうちに、少しずつ音楽になったり、朗読になったりしていく。お経と云うのは、こんなに涼しかったのかと思うくらいに、頭の芯からひんやりしていくのに吃驚する。ひんやりするけれども、リズムがあるので、心はクールだけれども、しかし、うきうきしてくる。漫然としていた神経が研ぎ澄まされてきたのを感じる。




・12時過ぎ。冷凍庫で冷やしていたバナナを食べる。まだ冷凍庫に入れてから5時間しか経っていないので完全には固まっていないが、ひんやりして美味である。・・・もう日付もかわりましたか。あと2時間、3時間もすれば、もう寝る時間です。

・寝る前には、いつも読書をします。最近は草野心平の詩集、武田百合子の『富士日記』などを斜め読みしたりします。または、植物図鑑とか相撲の星取表なんかを眺めるのです。そう云えば、あしたこの文章を朗読するのでした。
そう云えば、朗読と云う観点で草野心平の詩集などを考えたことがなかったので、改めて草野心平の詩集などを引っ張り出して読んでみました。じつはけっこう草野心平の詩と云うのは視覚的に構成されているんだと思いました。それでは草野心平の詩集において、敢えて声に出して読んでみたいところはどこであったかと云うと、いちばん抽象的なところである、と。たとえば、「ごぴらっふの独白」。「るてえる びる もれとりり がいく。 ぐう であとぴん むはありんく るてえる。けえる さみんだ げらげれんで。・・・」短い詩なので、全部読んでもいいのでしょうが、このへんにしておきましょう。この詩には、後のほうに、「日本語訳」がついています。今引いた部分はたとえばどんなふうになるかと云うと、「幸福といふものはたわいなくつていいものだ。おれはいま土のなかの靄のやうな幸福につつまれてゐる。地上の夏の大歓喜の。」と、訳されるそうです。ひょっとしたら、アイヌ語ではないだろうかと思いますが、よく判りません。



・先ほどからずっと、「音楽」として流れている<ふるべゆらゆら>は、ちょうどオペラ歌手が独唱している処に差し掛かっている。この言語も、よく判らない。それに<ふるべゆらゆら>は、ときどき日本語が出てくるので、それはそれで、奇妙な感じである。






・8月3日。昭和42年の武田百合子は何をしていたか。

 八月三日 むし暑し、うすぐもり俄か雨あり
 午前中に風呂をたて、花子、主人入る。
 一時半、本栖湖へ泳ぎに。管理所に寄り、関井さんに勝手口のコンクリートのタタキを庭へつきだして拡げる工事を頼み、見積もりにくるように話す。
 遠くで雷が鳴っているが、西の方は明るく時々陽が射す。
 本栖貸しボート場のそばの水泳場で一時間泳ぐ、入江とちがって、ここは海のようにだんだんと深くなるし、下も砂が多く歩きよい。渚の水はぬるんで濁っているが、五メートル行くと澄んでいる。十メートル行けば背が立たず、青々となり、二十メートル行けば菫色に澄んで怖いようになる。車の前輪を水の中へつっこませてとめ、水を車の屋根から盛大にひっかけて洗っている。晒腹巻の若い衆たちがいた。
 帰るとき、本栖湖入口の農家の前に、茶色の日本犬、前肢が一本なく、ドブのところに車を避けて、うなだれて脅えていた。前に車にはねられたことがあるのだ。俄か雨がくる。鳴沢バス停の店で。ぶどう八百グラム百六十円。小海の食料品屋で。豚肉うす切り五枚百五十円、納豆二袋三十円。おばあさんがきて、メリケン粉の大袋を買い、肩に背負わせてもらって帰って行った。
 旧道を上がって行くと、下りの大岡さんの車とすれちがった。
 ごはん前、関井さんが来て、工事の相談をする。
 夜、ごはん、肉しょうが焼、納豆、茄子しぎ焼。晩ごはん、おいしい。肉はまずかった。納豆がおいしいと、皆言った。
本栖の帰り、村役場に寄り、固定資産税を支払う。四千九百七十円。村役場は、人の話声も電話の応対の声もなく、しいんとして眠っているみたいだった。




・6月。たった2か月前の、私自身のことを考えてみる。
書き連ねてきたブログを観て、2か月前はこのような精神状態でこのような気分だったのかと思うのであるが、いまいち実感がわかない。意外にもかなり過去のようなふうに感じられるのだ。併し考えてみればたった60日しか経っていない。この間何があって何が遷り変わったのか、それでは何が変わっておらぬのか。
5年前、10年前の自分を引き合いに出してみるともっとその辺が分からなくなる。意外にも十年前の感覚のほうが60日前よりも、一瞬にして「現前」してくることがままある。「写真」のなかに居る自分自身は、60日前を含める「今」よりも、まだ私自身になっていないのがとてもよく判るのだけれども、その当時の気分や感情そして思考等はたったの2か月前よりも、何か直観的に嗚呼そう云うことだったのだよなあ、あの当時は。と、ついつい、首を縦に振ってしまうのであるから、不思議である。
要するに過去が「記憶」になると現在との繋がりから何処か一段階違った次元に移行するのであろう。直線的な、現在から直接繋がっている「時間」、つまりは現在の自分が昔ではなくて「今」と云う概念で処理しているところ・・・からある種の「断絶」と云うか「飛躍」をすることで、「過去」としての現前性を獲得するのではないだろうか。
その「現前性」と云うのは、たぶん、所謂「イメージ」である。繰り返すがそれは、嘗て現在から直接繋がっていたのだけれど、その生々しさから切り離され、脳内で改めて再構成しなおされ、凝固し、断片的になりながらも「かたち」をもって生き続けることになるだろう。「記憶」とは、脳内にて「作品」として変換され、そしてシナプスの抽斗の中に大切に保存されているものなのだ。「作品」は、もう完結している筈なのに、だからこそ時間を超して生きており、常に観る者に「イメージ」を「現前」させ、「現在」の感覚に直結する。
「記憶」とはつまり、「作品」であるのだ。「作品」は、「今」から一旦「断絶」「飛躍」しなければ生まれない。「作品」は「今」からの流れから「死ぬ」ことにより、「生まれる」のである。





・・・知らぬ間に、<ふるべゆらゆら>が終わって、空調音だけになっている。2本目の冷凍バナナを食す。たった2時間の違いなのに、だいぶ硬くなっている。時計は、2時を廻った。もう、寝よう。8月4日だ。