夏休み



八月十日


・写真を撮り、喫茶店に入り、読書をし、洗濯をし、そうしたらもう日が落ちた。七時から阿佐ヶ谷でHAと呑む。






八月九日(八月十日書く)


・なるべく毎日日記をつけようなどと宣ったのに、もう途切れる。木曜日は朝、長崎平和式典。広島もそうなのだが、テレビをつけてこれをやっていると、夏だと云う「感じ」がするのでなるべくつけるようにしている。そして内容は聞き流す。あくまで夏と云う「イメージ」が私にとっては大切。併しそれにしても、原爆を落とされたと云うのに何故か日本だけが誤っていたかのような印象を無根拠だけれども漠然と、受けてしまうのはなぜなのだろう?私だけか?これは、あくまで、聞き流しながらの「イメージ」なのだけれども。・・・かと云って、日本をやたら神聖化・被害者化するのも嫌なのだけれども。どちらにせよ、「強制」の様相を帯びてくるのはとても嫌なのだけれども。



・昨日は中野まで出てベローチェに入り、読書。道すがら写真を撮る。今日は好調のような気がする。あおい書店。古本コーナーが出来ているが、これは中途半端。併し美術コーナーや思想コーナー等は非常に筋が良い選択だと思う。都丸書店。買いたい本があるが、金欠もあり買わず。帰宅後、制作。夜、西田博至の講義。今回は九鬼周造『いきの構造』二回目。今日は講師がハイテンションで、イメージ豊かに愉しく進んでいた。本人としてはもう少し冷静なほうが本来の在り方としてはそうであるべきだろうと、もしかしたら思うかもしれないが、こう云うテンションの講義もなかなかどうしてとてもいい。それに、『いきの構造』の内容を語るにもとてもマッチしている。
そのあと再度制作。だいぶ急ピッチで仕上がってきている。これがコンスタントになればよいのだが。リズムを掴めてくると、制作スピードが三倍くらいになる。これは、信じられないくらい感触が違う。まあ、文章でも書けるときは書けるし、書けないときは全くと云っていいほど書けないのと一緒かもしれない。
深夜、吉田沙保里の金メダルの戦いを観る。やはり、ああ、この人は負けないのだな、と云う感じが最初からする。緊張感を持って観ながらも、どこかで安心してみていられる。王者の戦いと云うのはどんな戦いで、どのように強いのか?と。普段レスリングに関しては全く不案内なので、その最強さに、興味があった。観た結果、成程と納得する。なでしこ、決勝戦アメリカに一点取られたところで、寝る。起きたら矢張り負けてしまっていた。



・夏休み。仕事がないので制作等は集中して出来るが、やはり金銭的には苦しくなるだろう。特に九月は危ない。かと云って、漸く集中して出来る環境を逃したくはないので、中途半端に慣れない仕事は入れたくない。やせ我慢と最低限の確保。難しい問題だ。