・専門学校のドローイングの授業で、様々な線を描かせることをやっている。一本の線でも実に多様な表現ができるわけで、その多様な線がいっぱい集まるだけで、ひとつの面白い画面になるから面白い。それは、一生懸命何時間もかけて描いたデッサンなどよりもよっぽど作品になっていたりする。

一本の単純な線を描くという制約の中で、如何に様々な種類の線を描かせるかという目的に集中するわけである。ひとつの縛りが多いゲームのようなものである。
時間はだいたい10分から15分くらい。その中でB3画用紙の左端から右端までのなかで30本の線を描くわけだ。初めに画用紙の上のほうに、1〜30番まで番号を書いてもらう。
そして、その次に私が黒板に1〜30番までの、それぞれのお題を出す。たとえば、1番は「国家」、2番は「抽象」、3番「ぬるい」、以下「死」「感想」「山」「オレンジ」「毛布」「鋭さ」「卒業」「端的」「色」「まずい」・・・・
など脈絡なく様々な概念の言葉を書き連ねる。
そして制限時間の10分から15分のなかで、お題をイメージしながら1〜30番までの「線」を描いてもらうのだ。
ただ30本の線を引くだけだと思うだろうが、これを実際にイメージしながらやるとかなり時間が足りなくなったりする。しかしあくまで制限時間内に終わらせるようにするわけである。
使用して良い素材は、鉛筆9Bから9Hまで。なるべく一本の線で表現すること。

とにかく、学生たちは短い時間内のなかで、30個の概念を瞬間的にイメージとして捉え、それぞれを単色の一本の線に変換しなければいけない。

この課題の面白いところは、思考したりそれぞれの学生自身の既知のイメージややり方、ペースに持ち込んでしまう前に、直観的に様々な概念を線として変換したりしなければならないところである。前述のように、短い間に多種多様な概念のランダムに出されることにより、自身のペースは攪乱される。
自身のペースは攪乱され、わけが分からないままに、とりあえずでも直観的に線を引かなければいけないのである。しかも各概念により沿いながら一本の単色の線で。


自身から限りなく引きはがされることにより、その概念が直観的に憑依する。結果的に自己が拡張されることをもくろんでいるわけである。

しかしほんとうはお題なんか与えなくても、30本の線なんかひかなくても、一本の鉛筆でも、無限に引き出すことはできるわけで、やはりこの課題はきっかけにすぎないことはいうまでもない。




・この文章を書いている途中にひとつの訃報が届く。