3.「絵画」の境界



前述の「境界」「本物と偽物」とつながった形で模索している課題として、「絵画」そのものについての考察が挙げられます。


絵画は、元祖イリュージョンと言えないでしょうか。なぜならば、現実ではないのに現実に「見え」、現実にもないような世界をもあたかも現実であるかのように創り出せるからです。事実、特に美術史上写真が登場するまでの絵画の役割は言うに及ばないでしょう。

それにしても、「絵画」はいつ、「絵の具」から「絵画」にすり替わるのか。いつ、その<境界>を越えるのか。<境界>をまたぐことで「絵の具」は「絵画」になる。


ここまで考えると、「<境界>の追求で錬金術的に新たな世界を獲得する」といったような前述のコンセプトはなんと「絵画」そのものの特質でもあったのですね。つまり、私は油絵から写真、既成の物体などに表現媒体を異にしても、「絵画」的な思考で作品を創り続けていたのです。いったん「絵画」を別ジャンルの表現媒体から通して外から眺めたときに、自身のスタンスがまさしく絵画的だということを再発見したという事でしょう。


しかも、「本物」の絵画、偽物の絵画=「贋作」、コピーされた絵画などと、「境界」をまたぐような概念が幅広く、実際に「本物」と「偽物」ということが一番問題視される分野であったことに気がついたのです。


当然な帰結として、私は「絵画」についての考察を始めました。具体的な事例としては、白紙にインクとペンで描いた自分のドローイングを写真に撮り、その画像をプリントした印画紙に、白紙に描いたドローイングで使用した同じインクとペンで描く、といった、「写真」とも「絵画」ともいえる様な両義的な作品を創ったのです。


そして、ここでもオリジナルと複製の<境界>が攪乱されて、見分けがつかなくなっているといった事態を発生させ、観る人に新しい概念・世界を獲得する(境界を越える)瞬間のエロティシズムを享受してもらおうというスタンスは一貫しています。





         


「平行写真絵1」                    「次元写真絵1」  
ドローイングを撮影した印画紙にドローイング/2007   ドローイングを撮影した印画紙にドローイング/2007