2.「本物と偽物」、その境界


仮想現実が氾濫するこの時代、何が本物で何が偽物か、という尺度が曖昧になりました。それどころか「偽物」が「本物」を凌駕してしまう時代です。

モナ・リザ」の顔はどこにでも溢れ、本物を観たことがない人でもだれでも知っています。むしろそういった人たちには、コピーされた「モナ・リザ」のほうが、「本物」よりよっぽど「リアリティー」を感じられているのではないでしょうか。本物がうそ臭く、偽物がリアルになるというこの逆説。こういった視点自体を日常から考察しています。


例えば何気なくインクなどで描いたドローイングでも、描いた痕跡の輪郭をペンで囲うだけで手描きなのにコンピューターで描いたようにみえる。また、前述の「境界のエロティシズム」を追及した写真作品も、実際は身の回りにある日常的な素材(例えば果物など)を暗いところで光をあてて接写したに過ぎないものなのに、コンピューターグラフィックスにもみえてしまいかねない。しかし、これらのドローイングも、写真も、デジタル処理は一切していないわけです。でも、そうみえるようなテイストの作品をあえて創って、本物だか偽物だか解からない、その<境界>を攪乱するような作品を提示してみています。


こうした観点でさらに発展させ、「鏡」や「水」、「映りこみ」というキーワードで創った写真作品群、また、既成の「地図」を使用して、どこからが「印刷物」でどこからが「作品」だか解からないような作品も創りました。




コンピューターグラフィックスの「ような」質感の写真。
実は銀紙の反射とインクのイリュージョン。
「異境世界」印画紙・フォトアクリル加工/2005



実際の地面より、水溜りに写る電信柱にピントが合っている。
「五色台に境界」(部分)地図にドローイング/2005




地図の上に描いた本物の地図みたいな緑色のシミ。        
「水溜りに写る電柱」 印画紙/2004