「気」がする。



・2月、からっぽになった心が、あった。それから約一ヶ月経とうとしている。2月は普段の月より3日ほど短いのでまだそんなに時を経ていないように思うが、とにかく2月の、心がからっぽになった時点から、時が経ったのだ。漸く、からっぽから、またなにものかがたまり始め、それがしっくり馴染んで、ともかくも前へ進み始めていくような「気」がする。今日、そんな気がしたのだ。

・不安なことには変わりないのだ。そして一日中、何かが形にならない怖さをかみ締めている。焦りはあるが身体が動かない、同時並行して、何かになりそうなものをちょこちょこと突っついてみるが、どれも本腰をいれて集中できるにはまだ程遠い。でも、「気」がしただけかもしれないが、前に進み始めていくような「気」がしたんだ。それは、やっぱり一筋の光明なのかも知れない。


・花粉症にまみれながら、自分にとっての新しい春が少しずつ育まれていくような感じもする。半年も失っていた穏やかな心。そして気が充溢してくる感じ。満を持して、ぐっと集中力のギアが上がり、もやもやしていたものが一気に形になり始める、そんな時を求めて焦ってばかりいたのだが、やっと少し、きっかけがみえたのやもしれぬ。




ホロヴィッツ『ザ・ラスト・レコーディング』を聴く。彼が死ぬ4日前まで、最後に録音されたものだ。『ホロヴィッツ・アット・ホーム』よりもさらに内向的になり、諦めと云うか、少し悲しみのある、えもいわれぬ境地にある。ハイドンソナタはまだ『ホロヴィッツ・アット・ホーム』における軽やかさ、天真爛漫さがあるけれども、ショパンやリストになると、どうしようもなくなってきてしまう。そして、天国に行く決意をしたような、ワーグナー=リスト/トリスタンとイゾルデより「愛と死」。これが、彼の、ラストレコーディング曲。


・他、笠置シヅ子藤山一郎デューク・エイセス加藤登紀子あがた森魚元ちとせ等を聴く。



アラザルの原稿を書き始める。