花見・絡み



アラザルの原稿を考えているとMRから電話、夕方からお花見に誘われる。目黒に行って見ると、そこにはDHMOもいて、そればかりではなく、なんだか我々も知らない人が十人以上もいて、しかもお花見は終わっていて、近くの知らない人の家というか子供教室というかそういうところで楽しく呑んだ。その後、十一時過ぎに皆帰ってしまったのだが、MR君と渋谷で飲みなおす。MR君とふたりでゆっくり話すのは久しぶりで、よかった。終電を逃し、そのうち、MR君は仕事の疲れで寝てしまった。その間僕は酔った勢いで、電話とメールで、さんざん西大に絡む。


・彼が真剣にやっていると思うからこそ、僕が真剣にやっていないものについて怒ってもらいたいということがあるだろう。彼は真剣にやれない不快さは誰よりも判っている筈だから、やっぱりそれは怒るだろう。だからそれは彼をちっともみくびっていることにはならない。ハリボテなのに、ハリボテだからこそ「あえて」頑張ったのは、真剣ではなくなりたいどっかの自分が真剣なものに対していじけて悪乗りの気持ちになったからで、その「あえて」がさらに僕の性質の悪い、というか、へそ曲がりなところなのだ。変なプライドや虚栄が自分にはあるのではないかと何時も恐れ(そりゃあるだろうけど、でも尚も)、克服しようとすればするほど、虚栄みたいなものを気にしすぎて、虚栄を愚弄しながら一番キッチュな虚栄にはまる。それが虚栄なのだ、と綺麗に解決したいばかりに。(ここで文章を止めるのも虚栄だ)
僕は面倒くさい人間なんだとよくいわれるけれど、やっぱり面倒くさいのかもしれないし、でも、それに対してあくまで避けず、常に正面から向かい怒り、憤る彼がいて、嬉しい。僕の面倒くさくてねじくれている部分は、やはりよっぽどの人でなければ、ほんとうに離れてしまうだろうけれど、僕のそれが一番の欠点で、それを受け止めて、それに呆れながら失望しながらも、それでもなおさら、正面から云ってくれる人が居るということは、幸せなことだ。何度もいうけれども、みくびってはおらず、信用して駄々を押し通しただけのことである。結果的に彼にさんざん迷惑をかけたけれど、彼をみくびった考えは微塵もない。こういう彼の、少々怒りどころの趣旨がずれているのが(それはあえてなのかどうか判らないけれど)、僕の息の根を止めないでツッコミどころを与えてくれているところまで、ありがたい。
と、ここまで書いてきて、ああ僕は、一番最初に「彼のパロディ」なんだと言った発言を思い出す。結局あの文は出来上がってからなんとなく彼の書いた構造に似ていると思っただけで、パロディなんて思ってもいなかったんだけれど、あれは、それこそ飲みの勢いで口走った文言で、しかもそこにも僕のまわりくどい面倒くさいものが出ているし、たしかにそこから事態は始まったわけで、そう思われても、仕方ないか・・ツッコミどころが、なくなっちゃったじゃないか!