関西ひとり旅 1



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ゴールデンウイークが始まった頃、むしょうにどこか一人旅に行きたくなった。とにかくその衝動は日に日に高まっていき、水村美苗の『本格小説』を読み終わって、新宿御苑ベローチェから歩いて荻窪まで帰る道すがら、絶対あした出発しようと心に決めたのだった。ゴールデンウイークはそこそこ仕事が入っていたのだが、ゴールデンウイークから何日かは仕事が入っていないのだった。これから六月七月と忙しくなりそうなので、行くとしたら今の時期しかないなと思う。
 

5/6
やはりどうしようか一日中漠然と迷っていたが、午後の八時半になってインターネットで大阪行きの夜行高速バスを予約した。午後十時半に集合するバスだ、残り二時間しかない。慌てて新宿に直行する。バス会社にお金を振り込まないと乗車できないので、急いで東口の東京三菱UFJまで行き、振り込む。3900円。西口のみずほ銀行前から出発するらしい。そこには何台もの夜行高速バスが待機していて、夫々のバスの添乗員がお客をチェックして場所まで案内していく。
行こうかどうしようか迷っていたわりに、なんにも具体的な計画を立てていなかったので、ほんとうにバスに飛び乗って大阪まで行ってしまうのは正直不安だったが、まあ決断したのだからあとは成り行きに任せるということである。いつもの鞄に携帯やデジカメの充電器を搭載し、あとは下着などを最小限だけ突っ込んで、着の身着のままいきなり大阪までいってしまうのであった。出発は、10時55分ごろだったようだ。3900円にしてはずいぶんいいバスだ。あっという間に首都高速に入り、横浜に着く。横浜からも何人か乗ってきたが、幸いに自分の隣の席は空いたままであり、二席ぶん堂々と占領していくことが出来た。

何度観ても東京の夜景には、何かとてもこころを揺さぶられてしまう。首都高速のオレンジ色の光の流れを何も考えずにぼうっとみていると、やっと、ああ自分はこれから違う場所に行くんだというような実感が漸く芽生えてくる。そしてそのうちに、ひごろ反芻しようと思っても想えないような、過去のことが走馬灯のように頭の中を駆け巡ってきて、どんどんどんどん、自分のこころの中まではいりこんでいくような感覚になってくる。去年の六月に勤めていた画廊がなくなり、その後どんな風にして自分はやってきたのか。ちょうどあれから十ヶ月。まだ十ヶ月しかたっていないのか。いや、もう十ヶ月たってしまったのかもしれない。しかし、もう自分が画廊に勤めていたなんていう事実よりも、そういう感覚が、もうまったくなくなっているのに、ただただ驚愕するのであった。たかだか十ヶ月でも、そういう意識を持たなくなると、自分があんなに毎日やっていた仕事なのに、もう、凄く遠い、殆ど関係ないような違和感を感じるようになってしまうのか。それに、あんなに働いていたのに、いまはこんなにマイペースな生活を送っているのが、どうしても結びつかず、それがたかだか十ヶ月の間に起こったことだとは信じられない。
十ヶ月の間に、やはりほんとうにいろいろあったのである。「美術」「制作」「生活」に対する概念が根底より変わった。それに何よりも、心の動きが非常に大きな出来事もあったわけである。それは単純に、なにかをこなしたというような感覚とは全く違うもので、あくまで自分のスタンスやベクトル、それに生きていくための土台となるようなところ、つまり根本的なところが、この十ヶ月で変わったのだろう。
バスは静かな音をたてながら東名高速に入り、暗闇に映える灯りの海の中をなめらかに走行していく。カーテンのなかに顔をつっこみ、窓に額をくっつけるようにしてひたすらひたすら移ろいゆく景色を堪能する。窓とカーテンの間に挟まれたようにして風景をみているとなにか安らかなものに包まれたような感覚になり、やわらかく遮断された中での夢のような光景を愉しむのだ。ふとカーテン空間から顔を引き離しバスの室内をみまわしてみると、出発してから一時間もたたないのにおおくのひとは深い眠りに誘われており、ひとりとしてこの光景を愉しんでいそうな人はいないようであった。


5/7

2:00

横浜の次は、海老名にとまる。


4:00ころ

もう一回どこかのサービスエリアにとまるが、もうそのころには眠くて外に出ず。


6:00ころ

京都駅着
アナウンスが、京都駅に着いたという事を知らせる。同時に眼が覚める。
カーテンをあけると当然ながらもう明るくなっており、目の前にいきなり東寺の五重塔が見える。おお京都に来てしまったよ、と思う。何年ぶりだろうか。九年ぶりくらいだろうか。サークルKなんかがやたらに目に付く。「宮本むなし」という飯屋があってびっくりする。東京ではこんな店はないが、これから大阪、兵庫と行くにつれてこの店はやたらと見かけることになる。ちなみにセブンイレブンというのは関西は少ないという事を再認識した。(一件も見なかった)
外は雨が降っている。道路が濡れている。再び高速道路に入り、大阪へ向かう。ちょうど一時間ちょっとである。途中の街並みは非常に整然としていて、マンションや社宅のような建物がひたすら続いていたりする。ここは高槻だろうか。茨木市だろうか。と思う。突然<太陽の塔>が出てきて吃驚する。とはいえ実はその十秒前くらいから、なんだか万博会場の近くのような景色だなあと思っていたので、自分の記憶力というか、察知力に、まんざら捨てたものではないなと思ったりする。


7:00ころ

大阪駅
大阪駅にあっさり着いてしまう。いきなり大阪駅の食堂街のシャッターの絵が、いかにも大阪というような色使いのイラストだったので、早速シャッターを切る。暫くうろついて地下からあがると、改札口がある。改札の表示を見ると、東京は↑Θなのに、大阪は○×なのである。あとから考えてみると、関西のどこの駅でも○×は徹底しており、関西は「はっきり」と○×つけたいのかな、というような漠然とした結論に達する。ほんとしつこいほどこの○×は駅やエスカレーターなどの各所に存在していた。あとは、駅の案内板の色が、どぎつい黄色だったりして、東京ではまずお目にかからない配色のセンスなのである。これは特に阪神電車掲示板などの青色とも共通しており、共通したどぎつさがある。あとは駅全体が、旧い建物のまま大事に使われているのが判る。蛍光灯も全体に新しくはなく、クリーム色のちょっと暗い趣が漂っているのである。東京方面では、こういうような旧さなどは、イメージダウンとして早速除去されて新しく真っ白な、コンビ二や電気店のような白さになってしまうのに、この大阪駅は、むしろ真っ白であることを拒絶するように、すべてがちょっとクリーム色なのである。
そのなかで、いきなりシャープな空間を作り出しているのが、ブックファーストであった(朝の8時前?から開店しているのだ)。なにか突然東京でよく見かけているような、同じような店構えとシャープな雰囲気なので、思いがけず安心してしまい、ふらふらと入店。入店したところで、大阪の都市図を買った(667円)。しかしレジに行ったら、レジのお姉さんの後ろの壁には一面『大阪がもし日本から独立したら』という本が羅列されているのにはびっくり。さすがは大阪、いきなり大阪独立ですか!!東京でよく見かけるブックファーストだと思って油断したのはやはりまずかったのだ、やはりここは、正真正銘の大阪なのだ。


8:00ころ

梅田
外に出ようと、再び地下食堂街を通り、外に出る。そとは相変わらず小雨がぱらついている。ちょうど出勤時間なのだ。傘を持った人がひっきりなしに歩道橋を歩いている。その様がユニークで、シャッターを切る。駅の構内には、「近日中、JR大阪三越伊勢丹オープン!」と書いてある。関東ではどんどんデパートが閉店していっているなか、大阪では新しくオープンするんだ、と、ちょっと感慨深い。しかしこの後、ことごとく街の中心に偉容を誇っているデパートを見せ付けられることになる。関西では、デパートは相変わらず街の『中心』であり、あたかも西洋における大聖堂の如くなのであった。
街に出て阪神電車の駅ビルを横目に、とりあえずずんずん進んでみることにする。暫くして高架下をわたり、堂山町の交差点に出たところで迷う。しかも雨がけっこう本降りになってきたので、傘を差していても少し濡れてしまう。少し鬱な気分になりつつも、濡れないところに入り地図を拡げて冷静に位置を確認する。確認しているうちに、自分がどこら辺に行きたいか少しずつ明確になってくる(何処に行きたいかすらも、何も考えていなかったのだ!)。とりあえず道頓堀に向かってひたすら歩こうと決める。


堂山町
交差点を亘ると、不動産屋があった。大阪の中心部の土地が、今住んでいる荻窪よりも寧ろ安いくらいなのに愕然とする。如何に東京の土地が高いかということを思い知らされる。
不動産屋の隣にはピンク映画の映画館がある。「完熟マダム」「いやらしい感度」などといった、非常にレトロなエロポスターが張ってある。雨がしとしと降っていて、なんとなく陰鬱なテイストとそれがいかにもマッチしていて、思わずちょっとほろっとしてしまう。大通りから入ってみると、商店街のアーケードだったが、商店街のアーケードの電気は全て消されていて、真っ暗だった。そして雨で湿っぽい。「うわーっ、やなかんじだなあ」とおもっていると、突然パブかなんかの店から背広を着たガタイが良い5人くらいの三十過ぎ位の男どもが飛び出してきて吃驚する。しかも大分酩酊しているようで、絡まれないようにそうっとデジカメを隠しながらその場を立ち去る。まさに「荒んでいる」という表現の代名詞のような空間であった。その空間を抜けると、少しだけ明るいアーケードに接続しており、ほっとする。よく観てみると、古書店があるので、ああもう少し時間がたてば開くのになと残念な思いをしながらアーケード街を脱出。


大融寺町―兎我野町―曽根崎
アーケード街を出ると、どしゃぶりになっていた。でも強行突破ということでずんずん歩いてゆく。歩いて直ぐに、お寺があって、「摂津国八十八箇所霊場」などと書いてあるので、おそらく真言宗?のお寺ではないかと思う。「源融公之旧蹟」という石碑がボーンと建っている。源融公といえば、光源氏のモデルとなった人だ。どんな旧蹟なのか多少関心はあったのだが、雨がひどいのであまり説明を見ず。周辺にはラブホテルなのか、「ホテル関西」とドデカイ看板が出ており、否が応でも関西に来たことを認識させられて、嬉しくなる。そこの近くにあった駐在所の建築が旧くてとてもいい味を出している。歩き進んでいくと、なんだかまた趣きのあるビルがあった。ちょっと興味を示して玄関のほうまで行ってみると、画廊が集まっているビルらしい。まだ朝が早いので開いていないので残念。


曽根崎―御堂筋―大江橋中之島図書館―中央公会堂―中之島公園栴檀木橋
雨がおさまってくる。新御堂筋に出ると、途端に近代的なビルが立ち並んでおり、ちょっと眼をやると、宛ら東京の日本橋を想起させるようなところに出る。場所を確かめると、「大江橋北詰」と書いてある。実際に川沿いに日本銀行があり、川の上に高速が走っている感じは、眼を疑うほど東京日本橋と瓜二つだ。ここが大阪の中心地なのだ、そしてここが中之島であるのか。堂島川のながめはとても広々としており、先には水晶橋の優雅な姿が見える。ここら辺は、茅場町兜町のような感じである。大阪市役所を右手に見ながら、川沿いに進み、中之島図書館の前を横切る。非常に立派な建築である。が、この建築の正面玄関の下の脇のところで、中年の男が、おばさんとけんかしている。「なんやねん!!あんたなんの権利あるんや!」などと、大声で言っているが、おばさんも負けてない。どうやら自転車を置いてはいけない場所に男が置いたらしくて、それにけちをつけたおばさんに男が怒鳴っているということらしい。如何にも大阪らしい喧嘩をみたので、これまたちょっと嬉しい気分。
そこを抜けるとなんだか東京駅と瓜二つの建物が建っている。赤いレンガ造りでやたらと細部まで凝っている。みると、岡田信一郎原案、辰野金吾、片岡安が実施設計というではないか。どうりで東京駅を設計した辰野金吾がかかわっているわけだ。そして当時の建築界のスーパースター達が粋を極めて作っただけのことはある。ありえないほど豪華で堅牢なつくりである。
川に出る。中之島の反対側の川、土佐堀川栴檀木橋を渡る。この橋も非常に由緒ある橋らしい。(安藤忠雄中之島プロジェクトの一環としての「なにわ橋駅」と中之島公園も観る。是非全貌を観たかったのだがまだ朝も早くて開いていないだろうし、どちらかというと比較的早く千日前くらいまで到達したかったので、中之島をあとにする。)