休養日



・疲れが溜まっていたのできょうは無理をしないで何もせず。五月は毎年好調で実にいろいろなことをやれる。今年も例外なくずいぶんと沢山のことをやれたけれど、やはり無理しすぎるとよくない。月に一回くらいはほんとになにもしないで(遊びもしないで)休む日は必要だろう。
まあ何もしないったって、まったりしている中でちょこっとずつ愉しむということ。
きょうはベローチェに行って、アラザル4を読み返して、CDの整理をして、たまっていたあらいものをして、買い物に行って、ディチェコカッペリーニをつくり、たべ、10皿分のシチューをつくり、たべ、あしたかんこくに帰郷してしまうKMにこめんとをおくり、おふろにはいって、いとこがつくったオリーブ石鹸をつかったので皮膚の上に油分がすこしだけコーティングされたからかぽかぽかが長く続き、てきとうにテレビを眺め、照明をおとしてダウランドリュート独奏曲全集をかけっ放しにし、骨董市で百円で買ってきた『からだの読本』の「痔」の箇所やら「ふたご」の箇所やらをぱら読みし、これから昨日買ってきたカップに紅茶を淹れるのである。
買ってきたニ脚のカップのメーカーがすごかった↓
http://homepage2.nifty.com/suzukicafe/NAKAYAMA.html
http://www.e-ynet.com/artists/nakayama/nakayamatop.html
http://homepage2.nifty.com/suzukicafe/cup9.html

・五月二十三日の文フリでアラザルの作業が一段落し、ちょっと内向的になり、いろいろアラザルのことをかんがえる。論考にペンで線を引きながらだいたいすべて読む。感じることが多々あってこれを細部まで表現していくとなるとまたすごく体力をつかうので、また後日これについてはまとめて書こうと思う。
アラザルの人間達はにじゅうにん近くも居て、夫々が魅力的過ぎるほど魅力的で、ついつい毎日のように彼らのことをかんがえすぎてしまって、ときには疲れてしまうこともあるが、アラザルにかかわりはじめてからまえよりもずいぶんと深く「思考」するようになった自分を発見する。しかしまだまだ彼らに比べればさまざまなところで「思考」がたりないとおもうことが多々ある。日々緊張感ある勉強をさせていただいている。

アラザルは号を経ていくごとに、各々の論考の厚みと深さがグッと増しているとおもう。それぞれが本音を出し始め、ますます魅力を忌憚なく前面に出し始めてきているとおもう。集団としても、こころから本音をいいあえる仲間になってきたのではなかろうか。



・自転車のパンク、まだなおしていないんだよ。そろそろまたなおして  そろそろ梅雨に入るけどいい季節だしねひさしぶりにいかがですか。