関西ひとり旅2



中之島公園栴檀木橋

川に出る。中之島の反対側の川、土佐堀川栴檀木橋を渡る。この橋も非常に由緒ある橋らしい。(安藤忠雄中之島プロジェクトの一環としての「なにわ橋駅」と中之島公園も観る。是非全貌を観たかったのだがまだ朝も早くて開いていないだろうし、どちらかというと比較的早く千日前くらいまで到達したかったので、中之島をあとにする。)


8:20

栴檀木橋淀屋橋適塾―愛珠幼稚園―神宗―高麗橋ドトール

淀屋橋に出る。ちょっと歩くと右手に、なにやら由緒あるらしき古めかしい建物があり何の建物だろうと近寄ると、そこはなんと緒形洪庵の「適塾」であった。そして適塾の門の中に、切れ目なく、ピシッとスーツを着こなしたサラリーマンの波がどんどん吸い込まれるように入っていくのである。なんで旧蹟の中にそんな人たちが入っていくのかと云うと、日生ビルへ行く近道らしいのだ。福沢諭吉大村益次郎橋本左内、そして『陽だまりの樹』の主人公であり手塚治虫の祖父・手塚良仙らが学んだ、あまりにも歴史的な建物とあまりにも現実的な現代の出勤風景がコラボレーションされている様が眼前に現れ、ただただその光景に暫く見とれているしかなかった。
適塾の隣にもこれまた旧い木造の建物があった。これも適塾か何かの建物だろうと思ってみているとやたら長く続く建物で、「ははあ、これは剣術か何かの道場かな」と思って、正面玄関を探すが、なかなか見つからない。その延々と長く続く木造の建物を左手に見ながら行くとやっと曲がり角があって曲がると、そこが門なのであった。なんとそこには「愛珠幼稚園」と書いてある。ああ、昔幼稚園だったんだ!と驚いて、説明板をみて2度びっくりする。なんとその幼稚園は明治十三年に開設されて以来今でも現役だということなのである。(日本で三番目に旧いという。日本で一番目と二番目に旧い幼稚園はどこなんだろう) http://www.ocec.ne.jp/yochien/kindergarden/aisyu/
ここらへんにはやたら旧い建物が点在しており、あたりまえのような顔をして蔵や木造の建物が新しい建物に混じっている。このような「あたりまえ感」は、東京ではあまりお目にかからないような光景である。(東京では旧いところは旧く、新しいエリアは新しく、と明確に分かれる傾向がある)兎に角中心部に旧い建物が多いのは驚きで、たぶん戦争などで焼けなかったのも影響しているのかもしれないが、歴史と直接地続きになっている現在というものを実感しやすいのである。(その地続き感は、京都や神戸等近畿の都市にも共通している。)
そしてちょっとキッチュだったのは、神宗淀屋橋店。超近代的なビルの中の一階フロアのガラス張りの中に、旧い瓦屋根作りの店がそのままそっくりおさまっているのである。 http://www.kansou.co.jp/shop/index.html 
まあこのような造りの店は東京でも見たことなくもない気もするが、旅行中、そして適塾やら愛珠幼稚園やら旧い建物を観てきた眼には、ちょっとぎょっとするような好奇心を呼び起こしてくれもする。

雨がまた降り始めてきた。もうこの頃には空腹が限界に達しており、一刻もはやくどこかに入って休憩をしたいと思うと同時に、折角夜行バスに乗って関西に着たのにもう夕方には帰ろうかなというようなネガティブな気持ちになる。すると、天の援けの様なドトール様が目の前に浮かび上がり、自動ドアを潜るのであった。時刻はまだ9時にもなっていない。到着してからまだ二時間もたっていない。
モーニングセットBランチ(380円)を頼み、携帯電話をチェックする。HAからのメールをかえす。どこかに携帯の充電できるようなところはないかと思う(どこにもない)。ブックファーストで買ってきた大阪の都市図を開き、改めて何処に向かおうかというのを改めて検証する。食物が胃に入り、頭に血が再び巡りだし、落ち着きを取り戻し始めると、漸く「ひとりたび」に来たのだということをしみじみと実感してくるのであった。ドトールの目の前にある、蔵のような建物も関西らしい風情があってよろしい。やはり、とりあえずは道頓堀のほうに向かうという事を再確認。雨に濡れて湿ってしまった服が乾ききらぬ前にドトールを出る。三十分くらい居ただろうか。


9:10

ドトール西本願寺津村別院(北御堂)―船場難波神社―せんば心斎橋―心斎橋筋―道頓堀

ドトールを出て直線の路地をひたすら歩き始める。道頓堀までは結構な距離があるので少しだけ早足にする。しかし高麗橋、伏見町、道修町、平野町、淡路町とひたすら歩くにも直ぐに退屈し始めたので、御堂筋に出る。ちょうど新緑といった趣きの爽やかな御堂筋の街路樹(たぶん銀杏)はあがったばかりの雨の雫をたくさん含んでいて、清々しい気分になる。大阪といえば野暮ったいイメージがあるのだが、中之島からの本町くらいまでの御堂筋にはある種の洗練さが感じられる。舟越保武の彫刻あり。
瓦町、備後町と進むと、御堂筋の右側に堂々とした建物が出現した。「なんだ、新興宗教の建物か」と思ってよくみてみると、「西本願寺津村別院(北御堂)」であった。兎に角京都の本願寺もドデかいが、ここの建物も冷静に考えればたいした大きさでもないのに異様にドデかくみえる。権威をこれでもかといったように見せ付けている。関西のデパートなり寺院なりは、いつも誇らしげに、屈託なく、あっけらかんとのびのびと権威を主張し、街の中心部を占め、守護神であり、街の輪郭を確固たるものにしている。未だに活きている昔からのカリスマ。

船場に着く。茶色の横長の船場センタービルは、銀座INZを超野暮ったくしたような造りであった。銀座と同じように高速道路?環状線?の下にショッピングセンターが細長く作られているのだが、そこに売られているものの色彩が、超絶けばけばしい。東京では決してお目にかかることが出来ないような大阪ならではのドギツイ青、赤、ピンク。鮮やかでウエットで下品であつかましい。よく大相撲の大阪場所で見かけるおばさんが着ているような色がそこにあった。底力と逞しさ、活力、大胆さ、あっけらかんさ。あまりに主張しているので怖気づき、ここでは一枚も写真を撮ることができなかった。外に出てみると、ショッピングセンターの概要が書いてあって、ここは「センイ」の街だということである。
船場からせんば心斎橋のモールに入る。ここからはひたすらショッピングモールなのである。まだ10時にもなっていないのでどこも開いていないが漸く街の活気らしきものが徐々に感じられつつある。まあお店も開いていないのでショッピングモールをただ驀進するのもつまらないと思い、時たま御堂筋のほうに出てみたりして、なにかしら面白いところがないかうろつきながら進む。難波神社というところを発見。しかしこれといって目ぼしいところではない。隣の結婚式場のほうがギリシアの神殿のようで興味深い。相変わらずところどころに旧い建物が残存しており、あたりまえのようにお店として、家として、活きたかたちでつかいこなされている。レンガの色が東京とは違うのが興味深い。(この印象は神戸にいったときに決定的になる。)

せんば心斎橋から心斎橋筋に出る。モールを出ると、突然オシャレなゾーンが出現して吃驚。左手には東急ハンズ、正面にはパルコ、ロフト、大丸が店を構え、左には銀座に最近どんどん進出してきているような外資系の超スタイリッシュな建物が聳えている。シブヤパルコ文化圏が凝縮している。ここが大阪のオシャレの中心地なのかもと思う。しかしやはり十時前なので人通りとかもすくなく、実際の活気のあるところを見ることが出来ないので残念。しかし船場のやぼったくどぎついテイストは綺麗に払拭され、限りなく明るく健全な街並み。しばらくあるいていくと、ヨーロッパ村とかアメリカ村とかがあって、宛らスペイン坂のように街を作っていこうとした意思を垣間見ることが出来る。道路は質の良い煉瓦が埋め込まれており、街路樹にはゴールドクレストなんかが植え込まれている。シブヤ東急文化圏がコンパクトに凝縮されたような造りになっている。そのオシャレな街並みを進むと、宗右衛門町を左手に、ついに真打、道頓堀川が出現。


9:50
道頓堀―松竹座―法善寺―ビックカメラ―千日前―アーケード―高島屋新歌舞伎座―南海なんば駅

道頓堀川。まず橋の向こう岸には朝日スーパードライ麒麟麦酒の宣伝、「ガツンとくる、それがビール!!」。菅原文太の弩迫力の写真、道頓堀に似合いすぎである。かに道楽も、ドンキホーテの観覧車も、グリコも、雪印も、プロミスもレークもタマホームもこれには霞んでしまい、道頓堀を圧巻していた。いやそれにしても凄まじい原色の競合、赤、青、黄、緑・・・。道頓堀の商店街に入ると、早速かに道楽の動く模型があって、右手には大阪松竹座がある。松竹座は洒落た建物で五月大歌舞伎を公演中。まだ人通りの少ない朝だが、そこは俄かに人が集まり始めている。
路地に入ってみる。すると驚くほどそこは「浅草」だった。殆ど浅草を歩いているような錯覚に陥ったそのとき、まさに「浅草」と書いた看板に、泳ぎてっちり、はもしゃぶと書いてある!やっぱりここは浅草だったのか!!法善寺というお寺がある。路地裏は実に面白い。家の前の植木鉢にドデかい竹の子がそのまま刺さっていたり、そこらじゅうに竹の子がちらばっている。ふと真正面をみれば、ビックカメラ館が空を覆っている。浅草下町ふうの情緒溢れる街並み、物凄い生命力を感じさせ散乱している竹の子、そしてビックカメラの袋がそのまま真四角になって建物になったような殆ど暴力といっていいほどのオブジェ。もうそこは千日前である。


千日前の大通りの手前の信号で待機しているとき、ふと電信柱に「カプセルホテル、二千四百円から」と書いてある看板を見つける。そう、実はさっきから今日泊まるべき場所を何処にしようか頭の片隅で悩んでいたのだが、探せば探すほどそういうときに限ってネットカフェ一つみつからない。そんなときにその看板はとても魅力的に映った。つい携帯に番号を書き留める。「夜になっても宿泊場所がみつからなかったらここに泊まろう。」信号が青になり、わたる。道路を渡る途中の、島になっている部分に、浮浪者がダンボールで可動式の家を建てており、猫を何匹も縄をつけて飼っている。「そんな何匹も飼えるのであれば、まず自分を食べさせなさいよ」。意外とここの浮浪者は、裕福なのかもしれない。千日前の広い道路の上には電車が通っており、道の渡りきったところにアーケードがある光景は、横浜の伊勢崎町をちょっと想起させる造りである。

アーケードを抜けると真正面にドーンと高島屋が鎮座していた。如何にも街の主であるぞといったその風格は、デパートというものは現代のお城であり大寺院なのであると思わず説得させられてしまうような趣きであった。東京ではデパートの退潮の趨勢を聞かされて久しいが、関西では相変わらずデパートというものが、現役バリバリなのである。実に屈託なく根付き、のびのびと街の前景にしゃしゃりでて、鎮座している。関西のデパートや寺院はなんでこんなに目立つし、大きく感じられるのであろうか。(新宿の高島屋だって、伊勢丹だって、池袋の西武デパートだって、ほんとうは関西のデパートより比較にならないほど大きいだろうに、不思議と街の中に埋もれ馴染んでしまい、慎ましやかになってしまっているのは気のせいだろうか。関東のデパートはどこもどことなく元気なく「嘗て華やかであったのだ」という雰囲気が漂っている。それは知識以上に感じてしまう。)
また雨がぱらついてきたので高島屋まで辿り着き、そこからぐるりと全景を見渡すと、左前に天理教のような施設がある。何の建物だろうか、異様な雰囲気を醸し出している。気になるので一旦高島屋(南海なんば駅)に入りかけたのに、その建物の近くまで行ってみるが、よくわからない。雨が降ってきたので引き返す。後でわかったのであるが、そこは「新歌舞伎座」という建物であり、昨年の十月に閉鎖しており、しかもそこでは歌舞伎は殆ど上演されなかったらしい。異様な建物で、どことなく暗くおどろおどろしくて貌がない様相を呈していたのは、やはりそこが閉鎖されていたという状況がそのような雰囲気を醸し出させていたのだろう。

高島屋には南海難波という駅が合体しており、そこから高野山に行けることが判明。とりあえず当初の目的の道頓堀まで来てしまったので、ここから何処に行こうかという風に考えてみると、高野山というのは非常に魅力的である。しかも電車一本でいけるような感じなのである。電車賃は片道1260円。ちょっと高めではあるが折角旅行に来たのであるから、それくらいの出費はいいだろう。しかしなんだか不安である。そんなに気軽に高野山って行けるものなのか?まるで東京から高尾山に行くみたいな気軽さではないか。よくみると最後到着するにはロープウェイで乗っていくとある。
さすが高島屋と合体しているだけあって(JR大阪駅よりも)小綺麗な南海なんば駅エスカレーターを上り、漠然とした面持ちでとりあえず200円区間だけの切符を買って、改札を通る。南海なんばは、京都駅と新宿の京王線のりばを併せて十分の一くらいに縮小したような駅である。