関西ひとり旅3



10:30ころ
南海難波駅河内長野林間田園都市―橋本―極楽橋高野山
南海難波駅から、南海高野線区間準急河内長野行きに乗り込む。(特急で乗り込めばそれこそすぐに高野山につけそうなのだが、やはりそこはお金の節約もあり、普通の電車で乗り換えていくことにした)。南海電鉄の車両は、銀色に青とオレンジの線が入っている。七時から三時間ぶっとおしで歩きっぱなしだったのでやはり疲れが出て、出発してしばらくすると睡魔が襲ってきて、居眠りする。先は長い。河内長野で乗り換える。もうだんだん田舎になってくる。河内長野の駅の常務員室が木造で赴きぶかい。次の急行林間田園都市行きが来るまで暫く駅の構内をぶらぶら。林間田園都市行きが到着、発車。だんだんと本格的に山深くなってくる。
山全体が黄色くなっているところが多いのでなんだろうと思ったら、竹林であった。関西の山は基本的に竹林が非常に多いと思うのだが(それは昔NKと関西旅行に行って奈良線から見た山並みにも延々と竹林が入っていたとか何とかでそう思っている)、何故黄色いのだろうと疑問に思ってよくみると、なぜか葉っぱの半分くらいが黄色くなっているではないか。新緑なのか枯れているのかよくわからないままその黄色い竹林が延々と続く山並みを見続ける。異常気象のせいなのか?それともそんなものなのだろうか?いずれにしても関東ではあまりお目にかからない光景である。だんだん空気が冷たくなって、山の空気になってくるのが判る。林間田園都市に到着。なんだかずいぶん奥地に来たような感覚だが、高野山はまだまだ遠く、これから一時間くらいかかるらしい。特急で行けばすぐだけど、そうでないとこんなに時間がかかるものなのだ。しかしその方が旅をのんびり愉しんでいるような風情が出てよい。しばらくすると、高野山極楽橋)/橋本行きの電車が来たので、高野山極楽橋)行きに乗り込む。二三人、乗客が居る。このひとたちもおそらく高野山に観光しに来たのだろう。漱石の『明暗』の最後の部分で、主人公の津田が清子に温泉に会いに行くときのシーンが想いだされる。まあ高野山には清子に該当するひとも居ないしすこしも逗留する気もないのだから大分心持は違うと思うけれど、だが僕にとっての清子的?な存在のひとを思い浮かべたりしながら行くのは一寸しみじみするし、どきどきする(実に勝手なものだ)。極楽橋に近づくにつれてほんとに山奥まで来てしまった、もはやもう引き返せないぞというような切迫感が出てくるほど山奥になってくる。山並みにはもうもうと霧が立ち込め、雨が降り始める。高度が高くなってきたのか耳が少しおかしくなったのでつばを飲み込むとボッと云って元に戻る。一駅一駅の距離が長くなり、なんだか電車に乗りながら冥界に連れて行かれてしまうのではないかというような気分にもなってくる。「深閑」「幽谷」という言葉がぴったりな趣きだ。ついに終着駅、極楽橋駅に着く。極楽橋駅には「特急こうや」が停まっていた。コレに乗れば一時間ちょいくらいで難波からこれたのだろうけれども、やはり鈍行で来なければ自然の深みに入っていくようなドキドキ感を味わえなかったと思うので、よしとしよう。
さて、これからはロープウェイに乗って、高野山を目指すことになる。ロープウェイはかなりの大型車で、最初から車体が「斜め」に設計されているので子供心にわくわくして楽しい。運転手の真後ろの席に座って、断崖絶壁を登っていく様を眺める。左手には滝や綺麗なピンク色の花の群落があったりして、観光で来た人を裏切らないような風景が広がっている。観光地のロープウェーに乗ったりするとよくかかるアナウンステープが流れる。「ここは空海弘法大師が・・・」。横に居る外人たちが興奮の面持ちで風景を観ている。ロープウェイが山頂まで到達する。