コンスタントな天才



・朝から寒い。前前日は確か30度以上だったのにもかかわらず、今日は20度にも満たないような様相である。やらなければいけない仕事を先延ばしに先延ばしにしてきたが、ついに〆切が近づいてきたので尻に火が点き、はじめる事になった。しかしいつも以上にやる気のスイッチが入らずに、非常に苦戦中。大相撲をみたり、radikoを流しながらやったり、リポビタンDを飲んだり、濃い珈琲を飲んだり、片づけをしたり、風呂に入ったりと、様々な気分転換を試みながらやっとのこと少しずつ進んでくる。会社などの組織に言われたことをこなすのとは違って、自分で設定して自分の責任でやる仕事は、輪をかけて辛い。今回は、もうやれないかも、と思う。あきらめよう、と思う。が・・・


・もういままでの実家であったところが他人が住んでおり、決してもう入ることがないだろうと思うと、心のパーツがどこかに置き去りにされてしまったような頼りない気持ちになる。


白鵬が六十連勝。如何に周囲が弱かろうがどうであろうが朝青龍がいなくなろうが、これは驚異的かつ超絶的な記録に違いない。だれだって、ぽかはあるものなのだ。調子が出ないときもあるものなのだ。しばらくスランプがあったりするものなのだ。それがないということ。そのシンプルな事実が、恐ろしいくらいに大変なものなのであるということ。十年連続二百本安打のイチローの記録達成も(年単位で云えば)また然りである。如何にコンスタントに常に自己を把握し、統御し、柔軟に最大限の力を発揮できるようにするか。
制作でも仕事でも、追い詰められたりしてたまに自分でも吃驚するくらい好調なときがあるが、何か目的を達成すると途端にあのやる気はどこへとやらというように、元通りのもやもやとしたもどかしい思いを抱えた、実行力のない人間になってしまう。あの好調さが常に続いたらほんとうに僕はすぐにどんどん偉業を達成できるのにと思うこともある。しかし彼らは現実に、コンスタントに常に、好調を維持しているのである。殆どありえない領域だ。たゆみない努力や何かで習得できたものであろうが(言葉で云うのは簡単だ)、やはりこれは一種の天才である。
白鵬は今日も、素質は雷電にも比されることもある怪力の巨人大関把瑠都を、平然とぶん投げた。