ふたりの世界と、それを観る世界を観る、世界



・いつも行くブックオフには、おそらく三十代から四十代に差しかかろうとするであろう、頭の見事に禿げ上がった、声の甲高い小男が居る。その男は、常にねずみのように素早く動く。そして誰よりもレジを速く打ち込み、客に渡す。まるでそれを生きがいにしているかのようだ。しかしあまりに速く打ちすぎて、たまに、百五円の品を何冊かと半額の品を一、二冊くらい持って彼にレジを打ってもらうことがあると、彼は、半額の品まで高速で百五円と処理して打ち込むのであった。もちろん、そのまま素早く会計しおわり、素早く袋に入れてくれる。そんなことが三回くらいあった。
素早くて物凄い合理的に仕事を遂行していると思っているだろうが、どうもある種の嗅覚が欠如しているらしくて、そのへんがかえってなんだか無視できないある種の可愛さ?があるのである。
新しく来たバイトに、教えていたり指図していたりするところも何度か見たことがあるけれども、相変わらずせわしなく、甲高い声で、教えているのであった。ブックオフと云うなんとも無機質であるけれども厖大なテクストが渦巻く空間に、頑なに自分の世界を作り上げていて、お客であれ他のバイトであれ、世界を高速回転することによって、必死に自分のアイデンティティーを守っているかのようだ。



あるときもうひとり、ほんとうに要領が悪い四十がらみの店員がバイトに入ってきた。顔は悪くないのに、なにかもっさりしたどうしようもなく洗練されていない雰囲気を醸し出していた。いつも眉間に皺を寄せて、おどおどして根暗で自信がない視線をあっちゃこっちゃにそこらじゅうに鏤めながら、レジの処理にもたついていた。呆れるほど機転が利かない。彼が処理するレジだけ、行列になっている。客であるこちらまではらはらしてしまうのだが、同情したいというよりやはりどうしても苛々してしまうような感じなのである。
この人の今までの人生はどうだったのか。左の薬指に指輪が光っているのだろうか。どうしてこのブックオフのアルバイトまで流れ着いてきたのだろうか。接客業、特にブックオフのようなところとは似ても似つかないような人が、切羽詰ったのかなんなのか、どのようにしてこの仕事をしようと決断して、やり始めたのだろうか。いずれにせよ、四十過ぎになるくらいまで間違いなく一回も接客業をやったことがないと顔に書いてあるのだった。
「ずっと微生物の研究に没頭していて、ひととなんか関わっていなかったしさ・・・。こんなことは私とは縁が全くないと思っていたのに、どういう吹き回しか、こんなことをしなきゃいけない羽目に陥ってしまってね、しかもさあ、バイトの先輩はみんな子供みたいな年齢なんだよね。もうなんだかやるせなくてさ。毎日が辛いよ。でもさ、でもさ。もうこれしかないんだよね、生活するためにはさ・・・。やるしかないんだよ。やらされているんだよ。俺の人生は・・・。」
などというような愚痴と後ろ向き思想が全身から強烈に発していた。
しかし彼は辞めなかった。


三ヶ月くらい経って、だんだん慣れてき始めてきた彼は、漸く少し自分から「お売りいただける本などありましたら・・・」などと言える様になってきた。しかしやはり物凄く要領が悪い響きなんである。ちょっとした一言なのに、なんだか「もたもた」して水が流れるのをせきとめてしまうような一言なんである。それが、どうしてもあの無機質な蛍光灯が充溢していて無駄に明るく元気に掛け声がかかるブックオフと、拭いがたい違和感を形成しているのだ。
「長年夢だった、古本屋兼カフェを脱サラして始めました、いままでは窓際で、社長に尻を叩かれているだけだったけれども、これで俺はどんなにも一国一城の主だ!」とのたまい、不味い珈琲を淹れて、コゲだらけのトーストを焼き、どうしてこの場所を択んだんだというような信じられない場所に出店し、内装も勘が悪く、どこからどう見てもどの客層もよりつかないような店の主人といった趣きの彼が、ブックオフのレジで、「三点で四百五十円にナルマス。あ、いや、百円お引きしまして、三百五十円になります。お売りいただける本などありましたら・・・あっ、失礼しました。このチラシは必要になりませんね。あ、それと、Tポイントカードありましたら・・・」などと、何時まで経っても慣れない台詞に悪戦苦闘してるのである。


でもさすがに半年経ち、一年経つと、なんとはなしに仕事をやれるような感じになってきて、明らかに浮いているという態ではなくなってきたのであった。しかしやっぱり、彼は彼。たまに、かつての要領の悪さは絶対に貌をみせてしまうのである。


そんな不器用な彼と、見事に禿げたせっかち小男が話しているところをみたことがない。なんだか好対照なのにな。



無機質な空間だからこそか、店員の個性がみえてきてしまいます。
あ、僕がブックオフの行きすぎなのか。
多分、そのブックオフでは僕はなんと思われているんだろうかとふと思う。「あ、また例の野郎が来たぜ・・・」ってな感じでね、絶対に貌を憶えられているね。