オセロと政治と日本



・今日は一日休み。ベローチェに行って、そのあとOKで買い物。鶏ガラスープを作る。美味しく出来た。油絵(30号)を本格的に描き始める。andoh3から電話。アラザル、売れるといいな。


・購入
坂本龍馬 幕末の自由精神』飛鳥井雅通 福武文庫
クリスマス・ソング』べイツ 福武文庫
『変容の象徴(上)』C.G.ユング ちくま学芸文庫
『ガラスの靴/悪い仲間』安岡章太郎 講談社文芸文庫







・オセロに勝つ秘訣は、如何に相手の選択肢を減らして、自分の選択肢を増やしていくか、と云うことに尽きる。そのためには最初からあまり取らないことがコツである。段々自分の駒が少なくなってきて不安になるかもしれないが、自分の駒は少なければ少ない程相手の選択肢は少なくなり、自分の選択肢は多くなる。滅亡しない程度に敢えて相手に取らせながら、自分のほんとうに取りたいところだけをしっかりと確保する。そうすれば、焦って最初からたくさん取らなくても、いやでも選択肢が狭まってくる終盤に、無理なく一気に勝てるのだ。



日本と云う国は、高度成長期、バブルを経て、オセロで云えば計画性なくとりあえず取れるだけとった結果、成長が行き詰った時に選択肢がなくなってしまったようなものではないだろうか。それでも、数を多く取らねばならないと云う観念を捨てきれず、未だにその「とりあえず」戦法に固執しているように見受けられる。「とりあえずなにか変わらなければ。」「とりあえず何か変われば日本は良い方向に向くだろう」「とりあえず首相をかえなければ「とりあえず国旗国歌を敬え」・・・。しかし、総じて「とりあえず」の対処療法を繰り返すだけで、その先に何も考えにないことが、今の自民党のようにどんどん底を浅くしていく。
ここはやはりGNPが半分になろうと、対処療法ではなく、「根本的」に重要なものは何かと云う事を腰を据えて長期的なスパンで「終わりなき日常」を正面から受け止めるべきだろう。泡のような未来ではなく、今既に持っているパイの魅力を、どこまで引き出せるか。別に新しいものでなくてもよい。いつでも、元から持っているもので新たな発見はあるのである。断捨離やリストラ、仕分けにも限界がある。これいじょう不必要に新しいものも増やす必要もないし、だからといって能動的にもちものを減らさなくてもいい。あるものを今一度丁寧にみなおすことだ。いろんな角度から検証し、固定観念を取り払ったあたまで、魅力を引き出すことだ。


いまの政権は、下手糞ながらも自民党よりはまだ色々思考錯誤したりして、失敗できているだけましかもしれない。自民党(特に谷垣氏)はどうみても無為無策で、震災のことはそっちのけでただ菅を降ろすことだけにしか頭になく、足を引っ張っている。ビジョンがまるでないことを自分自身でも認めてしまっているのでは、いくら人を批判したって、どうしようもないのである。そんなに菅をやめさせたいのであれば、弱い犬のようにキャンキャン吠えたてるよりも、まずは今の政権にとってかわるような、腑におちるような筋の通った具体策・ビジョンを提示してほしい。
菅は、暫く自分の立ち位置を見失っていたようだが、また、随分と強かな「政治家」の顔を取り戻したようだ。今回の「震災のめどがついたら若い人に」と云うのは秀逸であった。今後が少し期待できるようになった。
谷垣や自民党、そして小沢などは馬鹿真面目に直ぐに辞めろと云い続けるよりも、今は協力して震災にあたり、その間にビジョンを練り、満を持して明らかに菅より良いものを出せば、焦らずともそのうちに政権は回ってくるだろうに。焦るな。


十年、二十年、いや三十年くらいの長期的スパンを覚悟で、駒が少なくなることに耐え(間違っても、これいじょう自分からは捨てるな)、そのあいだに、まずは自分の立ち位置をしっかりと確認すればいいのである。オセロのかどっこを取るにはどうしたらいいか?オセロに勝つにはどうしたらいいか?