銀座ギャラリーめぐり




・昨日専門学校の帰りに行くはずだったけれども疲れていて行けなかった、岩野仁美の二人展へ行く。銀座清月堂画廊。十七日(日)まで。兎に角やり手の彼女は、制作ペースも凄いし、このアクティブなパワーはいったいどこから出て来るのだろうか。オープニングパーティーに行きそびれたので会いたかったのだが、残念ながら会えず。
http://cinra-magazine.net/vol.18/CONTENTS/index.php?id=17


・それからギャラリー小柳、ギャラリー58、INAX資生堂ギャラリーと、いつものルートを一回りする。ギャラリー58の、「徳山たろ展」は興味深い展示であった。
http://www.gallery-58.com/
長崎出身で、先日紹介した烏山秀直の高校の後輩だと云う彼は、高校を卒業してから、大学も含めて九年間スペインに美術留学したと云う。さすがそれだけあって、ぱっと展示内に入ったときから、「おや?普通の若者の展示ではないぞ」と云うような空間が出来あがっていた。端的に云えば、作者は思考錯誤し続けながら作品を創っていると云う感じである。当たり前と云えば当たり前なのだけれども、最近は村上隆やコマーシャルギャラリー全盛の風潮によって、ファインアートのデザイン化が激しい中では非常に珍しいのである。

最近の若い作家の傾向として、どうしてもコマーシャルギャラリーに召抱えられるなりどこかのコンペで賞をとるなり評論家にみとめられることが先決になってしまって、それ自体が目的になってしまっているのだ。要するにギャラリーや審査員や評論家に「プレゼン」するのがじょうずなことがアーティストになるための第一歩みたいな感じがある。本質よりもスタイルやキャラ優先と云うか。
併し、少し考えてみれば判ることであるが、クライアントにプレゼンして理解されることが目的なのは、「デザイナー」であって、「アーティスト」ではないだろう。
アーティストとか作家と云うのは、あくまで自分の考えやコンセプトを追求し思考錯誤してこそが本領発揮であろう。有名になるだの売れるだの召抱えられるだのは、二の次ではないのか?あくまでコンセプトを追求して思考錯誤して深化した行跡が、自然に認められる形でそうなるのであればいざしらず、一番最初から有名になるためとか売れるために、戦略的に作品を創っていくというのは、何だか方向性がずれている気がして、僕はそこがどうしても気持ち悪いのである。

そう云う点でいうと、徳山たろは、そう云うようなところが微塵もなく、あくまで自分のコンセプトなり考えなりを思考錯誤した結果出てきた作品だということ、そう云う当たり前のことが当たり前に出来ていて、非常に好感が持てるのであった。やはり美術をやるには、欧米に行った方がいいのだろう。彼と話していて、余計そう思った。



・OTからもらった、二枚組のプーランクを聴く。



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漱石と微笑』岡崎義恵 生活社