日曜〜火曜




・日曜日、風景画教室。上野の東京国立博物館の、表慶館を描く。夏なので、表慶館の手前にある巨大なユリの木が結構邪魔で描きにくかった。どちらを主役にするのか一寸難しいバランスで、然も描いている位置からは建物自体がユリの木に約四割程度隠れてしまうので、難しい。昼食はパスタ。上野は手ごろに食べられるお洒落な店が全くないので困る。


アラザルポッドキャスト収録、dhmoとIT。「スピリチュアル」。


・実家。
アラザルポッドキャストのお題ではないけれど、車で、心霊スポットとして有名な八王子城や、八王子の近くにある、S価の収集した美術作品を集めた美術館に行く。(なんだかやけに立派な美術館が有ると思ったら、そう云うことだった。納得。)流石に超巨大なる宗教法人、これを集めるのにどんだけかかったのだろうかと云うくらい充実したコレクション。アングルの名作が有って驚く。他にも有名な作家ばかり。ティッチアーノ、ラトゥール、クラナハ父、ブリューゲルフラゴナール、ルソー、マネ、モリゾ、マン・レイゴッホ、ウォーホル、ロダンブールデル・・・・・・なんか三万点?くらいあるらしい。仮にほんとうにそうだとしたら、一点平均百万円とするにしても三百億円くらいはかかってる。一点平均一千万円だったら三千億。・・・やはり税金を課すべきだと思うのだけれど。


八王子城は、殆ど高尾のほうと云っていいくらいの処に在る。多摩御陵や霊園などに囲まれた山の中で、湿度が異様に高く、薄暗く、八王子市中の乾き荒涼とした郊外の景色とは趣を全く異にしている。「八王子」と云う名前の由来が八王子城から来ているらしい。1573年後北条氏に創られ、小田原に次ぐ堅固な要衝として非常に重要な拠点であったと云う。城主は北条氏照であり、其処に八王子権現が祀られていたと云うことだ。1590年、前田利家を筆頭に、上杉景勝真田昌幸らを擁する豊臣軍に五万の大群で攻められ、一日で落城した。対する北条軍は三千であった。なかなか落ちそうにない小田原城に業を煮やした秀吉は、見せしめのために八王子城を一日で落とすことに拘ったらしい。堅固な要塞である八王子城を一日で落とすと云うのは殆ど狂気の沙汰と云っていい位であり、豊臣軍にも多くの死者が出、城は焼け落ち、阿鼻叫喚の嵐だっただろう。大将級の首や、人質は早速小田原の方に見せしめとして送られたと云う。戦いは午前六時ころ位には始まり、十六時か十七時くらいには落ちたと云う。その後家康が関東に入り、直轄領に指定し、八王子城址を立ち入り禁止区域にする。江戸近郊と云うこともあり、要塞として使用されることを恐れたためである。以後明治に至るまで放置されて、近年漸く再び発掘・整備されだしたと云う処である。整備される前は、約一メートル程度も、土に覆われていたらしい。立ち入り禁止区域で放置されている間に、そんなにも土が積もったのである。また、それだけずっと放置されていたのもあって、当時の状況がかなり残って居り、また典型的な山城の遺構としても貴重であり、日本の名城百選に択ばれて居る。山城と云えば、鉄砲などの流入によっての戦術の変化もあって、殆どこの時代になると平城に移行する時期であったので、最後期の山城としても貴重であると云う。






・M、THから連絡有。
・『漱石とその時代』を他文献などを参照しつつゆっくりと読み進めつつ、読了。




・購入
『明治大正昭和 日本絵画史』 石川宰三郎 大日本雄弁会講談社
『バルト』 大木英夫 人類の知的遺産72 講談社
『日本の十大小説』 加賀乙彦 ちくま学芸文庫
漱石の精神界』 松本健次郎 金剛出版
『作家の世界 夏目漱石』 編者・平川祐弘 番町書房
『スタイルの文学史』 大屋幸世/神田由美子/村松友視編 東京堂出版