二十五年経つ過去、七年で忘却した知識



・友人知人たちが創った「ゲーム創作カタパルト」。 
http://www.gamecatapult.com/
これは素晴らしい。実現したのはすごいことだ。ひとつの凄い試みが本格的に始まった。教育と云うのも、(カルチャー)サロンと云うのも、この形態が、これからのおおきなおおきな可能性になるのではないかと感じる。




・今日は祖母の命日。もう亡くなってから二十五年目になるのか。二十六年目か。
天皇が心臓を手術、無事成功したと云う。日大医学部出身の医者が抜擢されたと云う。ふと、昭和天皇の、毎日の吐血量や体温を報道するニュースを思い浮かべる。
副職。夜は餃子の満州
ベローチェにて宮川淳阿部良雄との往復書簡を読む。『美術史とその言説』と『絵画が偉大であった時代』に所収のもの。『絵画が偉大であった時代』の方には、宮川が亡くなってからの阿部の書簡がある。今橋映子の『異都小景日本人のパリ』と『絵画の準備を』の関連したところをぽちぽち併読しながら。『異都小景日本人のパリ』はもう一回しっかり読み直したいところだ(この本はしっかり線を引きながら読んでおけばよかった)。
帰宅後何気なく本棚から『反美学―ポストモダンの諸相』を抜き出してみたら、そんなにきちんと読んだ思い出がないのに、最初から最後まで線を引きながら読んでいるじぶんが居て吃驚した。線を引いているところをみても思い出せない。書き込みをみると、七年くらい前に読んだらしい。
最近、読みなおしてみると昔ピンと来なかったり、判らなかったり、忘れてしまって居たものが、物凄く魅力的な問題としてじぶんに迫って来ることがおおい。まるで初めて読んだように、感動することが多い。



・普段授業等で絵画教室の生徒さんや学生にいつも教えて居るような知識や技術が、あらためて「こういうことなのか!」と云うように、実感をもって深く「理解」することがある。今日も、<イメージ(イマージュ)>と云う問題で、「ああ、そうなのか!」と思うところあり。





・金曜日、smと下高井戸で待ち合わせ、昼飯は老舗の釜めし屋で食す。その後府中市美術館で行われている≪石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行 ≫を観る。思いがけず岡崎和郎氏の作品があり、感動する。赤瀬川原平が書いた(描いた)「石子順造的世界」のタイトル文字の原画が飾ってあって、少し前に西田博至展に出した作品と何だかだぶるところがあって興味深かった。別にその作品は「なぞっている」わけではないし、コンセプトは全く違うのだけれど。
食品サンプルが大量に飾ってあって、たいへん魅力である。あの食品サンプルの魅力と云うのは何なのであろうか・・・たぶん、ピザやラーメンなどの流動的な形態をそっくりに仕上げてあるのが堪らなく魅力的なのだろう。あのテロテロした質感なのにも拘わらず、そっくりなところとかも。キッチュでリアル。でかい風呂絵も飾ってあって、その技法も魅力的。単純に描き方の参考になるところも少なくない。多層構造仕上げ、ざっくりした明暗。マネ的とも云えてしまえるような単純化福田美蘭のパロディ的作品よりも迫真をもって迫って来る。風呂絵の、「ほんもの」の迫力がある。職人の大量生産的で限りなくシステマティックな仕上げの筈なのに本物がよいと思えてしまう。これを美術館の光の下で観るのも、いいのかもしれないけれども。
ただ食品サンプル等は、個人のコレクターから借りてきたのだろうけれど、所有者が「個人」としか書いていないのが残念。石子順造が集めたものなのか、ゆかりの人が石子の理論に沿って集めたものなのか、石子と何も関係ない人から美術館の人が集めてきたのかはっきりしないものがおおいのが痛い。
美術展の企画としては、判りやすさを追求したのか「現代美術/漫画/キッチュ」と云うように単純に分け過ぎてしまって居て、何となく割り切れ過ぎていて拡がりがない展示のような気がする。その割には石子順造の年表すらないのはなお中途半端。惜しいと云えば惜しい。
夜は千歳烏山の焼き鳥屋で呑む。最後はハーブティ(カモミール)。





・購入
『日本植民地探訪』 大江志乃夫 新潮選書
『もう一つの維新史』 外山幹夫 新潮選書
ヘーゲル精神現象学」入門』[新版] 加藤尚武編 有斐閣選書