判断





・朝、大雪。昼過ぎまで家に閉じこもっている。電話でMSと世間話。夕方漸く荻窪まで出てベローチェへ。坂口安吾の『安吾史譚』など読む。夜THから電話。よく今日は電話で話した。



・批評(解釈)とは、「他人の作品をダシに使って自己を語る事である」等と云う小林秀雄の言葉を想起する。人の表現なりなんなりを批評し判断する時、結局どんな立場から判断するのであろうと云う思いはいつもある。勿論評価賞賛するばかりでなく、もう少しこうだったらよいだろうにと云う事もままあるわけで、併しそれを書かないもしくは無視をするといった態度でなるべく済ませたくはないわけだ。併しそれがただの自己防衛的な攻撃に陥る危険はいつもある。それが誤解をも生む可能性が十分にある。誤解を生まずに表現提示できればそれがいちばんなわけであるが、なかなかそうもいかない。そのリスクをどのような緊張感で表現して、それが納得のいくようなものになるのか。それが私にとっての大きな課題である。嫌われることは恐れないが、誤解されてしまい嫌われなくてよいところで嫌われてしまうのではもったいない。言葉と云うものは難しい。私にはまだまだそこらへんの微妙な綾が判って居ないところがありそうである。それを誰かに分析し批評・批判してほしいところだ。勿論じぶんでも考えていかねばならない。やはり何か思うところがあれば、直ぐに解釈してしまうのではなくて、徹底的に「なぞり」尽くすしかないのか。どうなのか。
安吾を読む。



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安吾新日本風土記坂口安吾 河出文庫
安吾史譚』坂口安吾 河出文庫