上野<VOCA展2012>、大森<DOROTHY VACANCE>




VOCA展2012。みんな大変よく頑張っているし、よく創って居るな、上手いなと思わせられるものが多かった。非常に熱を感じた。技術も感性も思考もかなりのレベルであると云わせられてしまうかんじである。ただ、余りそう云う風に熱を感じるものばかりであると、食傷気味になって気持ち悪くなってしまうのも事実だ。みんなどこかしら筋肉増強剤的と云うか、抜けがなさ過ぎて、そこらへんが観ている方はどこかしらきつくなってしまう。プロフェッショナルになろうなろうと云うような気持ちが強いのは判るのだけれど、あまりにも「じぶんがじぶんが」とばかり云われている感じがして、みんな凄いですねとは思うけれどもどうも後味が良くない。「技術」「感性」「思考」が前面に出過ぎて居て、いまいち「作品」そのものがみえてこない。「私はこうしました。ああしました。」とどれだけかっこよく真面目に云えるかの、果てしないプレゼン競争に似ている。つまるところ、この人たちは、「美術」をやりたいのだろうか、それとも「有名」になりたいのだろうか。


・そこにきて、奥村雄樹の作品がいちばん、クールな視点で、素直に観ることができた。奥村の作品は、まあいってみれば子供向けのワークショップの成果を壁に飾ってあって(ぜんぶ子供の作品)、そのワークショップの過程を撮影した画像が右に写しだされているだけなのだが、そのワークショップの内容が面白い。まず白紙を壁に貼って、子供がその白紙に寄りかかる。そして子供の輪郭を写し取る。そのあとに、その輪郭のなかに、子供が自由に「じぶんのかいぼうず」を描くのだ。その成果が壁に20枚ほど?貼ってあるのだが、イメージが固定されておらず興味深いカオスっぷりを呈している。解剖図と云うのは具体的でありながら、固定概念をゆさぶるものであって、子供たちのイメージが撹拌されていて、面白いのだ。
奥村は現在33歳だが、かなり若いうちからフィリップモリスアートアワードなどを受賞し美術手帖にも批評文を書くなど、この世代のなかではかなり早くから活躍している。そして彼の作品の大部分は映像とインスタレーションである。だから今更奥村が、そしてよりによって「平面主体」のVOCA展にまで択ばれることもないだろうと思うのだが、たぶんそれは本人も感じて居ることでもあるだろう。
そんな若手大家の余裕の故か、彼の作品は、他の「血眼になってがんばっている人達」「これから名を挙げていきたい人達」に比べてかなりクールにVOCA展をつきはなしているスタンスである。それがこの展覧会にとっていちばん「批評的」になっていて、それも小気味が良かったのである。



五月女哲平もよい。白黒の抽象的な形がパズルのように画面全体に組み合わさっているだけなのだが、それがなんとなくゲルニカのようにもみえるし、ださくもみえるし、クールにも親しみやすくもみえる。かなり時代遅れ的な「近代絵画」のようなんだけれども、それがかえって新鮮にも見えるし、他の「血眼になってがんばっている人達」と少し一線をかくしているクールな「バランスの良さ」と総合力がある。下地に使っている赤い色も効いている。画面に近づくと僅かに垣間見れる程度にしか露出して居ないのだが、ただのモノクロームな絵画ではないことが判る。そんな繊細な作業が、この作品の印象を、シャープすぎるところから救って親しみやすくみせられているのだろう。ただ、惜しむらくは画面が大きい故、キャンバスを二枚繋ぎ合わせて居るために、画面の真ん中に線が入ってしまっていることだ。それは、桑久保徹の絵にも云えるのだけれど(もっとほかの人にもあった)、やはりどうしても気になってしまう。皮肉にもそれが日本の若手作家の制作環境をよくあらわしているように思える。まあ、個人的な感想を云えば、そんなことするならば、無理やり大きな絵を描く必要もないとも思うけれども。






VOCA展2012に行ったあと、大森のDOROTHY VACANCEに1カ月ぶりに寄って、オーナーのGと、インターンのひとと話す。Gは、やっぱり賢いひとなんだなと改めて思う。じぶんの軸があって負けず嫌いであるけれども、とても柔軟性もあって、論理力と適度な距離感と暖かさもある。賢くないとそうはできないだろう。世の中にはクレバーな人はかなりたくさんいるけれども、賢い人と云うのは滅多にいないものだ。インターンのひとも面白い。デザインよりも縫うことに、ひたすら縫うことが好きなんだそうだ。私の「なぞる」にちょっと近いのかもしれないと思う。
展示の方は六人展と云う事で、かなりロックでカオスなインスタレーションのなかに六人の作品が混ざり合っていると云う態で、DOROTHY VACANCEの雰囲気と違和感なく良い感じで繋がっていた。個人個人の作品が引き立っているかと云うとそうではないけれども、漠然とひとりひとりの作家が溶け合って面白い空間になっていると云うのも悪くないだろう。VOCA展で、「じぶんがじぶんが」の作品ばかりを観てきて食傷気味だっただけに、かなりほっとしたのは正直なところである。


帰りに松村書店に行く。やはりなにもなさそうなんだけれど、ちらちらとよい本が安く見え隠れしている。赤川次郎の隣に井伏鱒二の『厄除け詩集』が売られている。全くと云っていい程脈絡なく、文学・歴史・文藝等の書物とエロ本と赤川次郎などがごった煮になっている。その奥で、とても透明な灰色がかったグリーンの眼をしたとても感じのよいおばさんが、適度に無関心なふうでカウンターにすわっている。




・購入『新潮』三島由紀夫読本 1971・1月臨時増刊号