アンゲロプロス≪旅芸人の記録≫





アンゲロプロス旅芸人の記録≫メモ。場面を忘れないための箇条書き。


若いころ観ていたら確実に人生が変わるのではないかと云う位の衝撃。間違いなく人生で映画観てきた中でトップスリーくらい、いや、トップかもしれない。


1952年ギリシア。なんとか元帥に投票しましょう。投票しましょう。街中にスローガンの垂幕。ギリシアの街並み。それは中国旅行に行った時の延安の街並みを想起させた/銃殺のシーン。屋根が上部切れており、それが引きのパンで上部が出たときに、撃たれる。壁のマチエールの美しさと煉瓦屋根の絶妙にクールな構図。
/銃殺されそうになり並べられた旅芸人一座。崖をバックに銃殺されそうになり、ひとりが味方だ味方だと弱弱しく迫り、併し兵隊に押し戻される。そして再びさあ銃殺、と云う瞬間に爆発が起こり、照明をさげろさげろとの声。レジスタンスによって危うく窮地を逃れる一座
/音楽の絶妙さ。口笛の倍音が只事ではない美しさ、アコーディオンの郷愁、涙が出てきそうに迄心地よい空間、の瞬間、の銃の音。
/レコードをかける女性。一瞬安らぎの表情、と、そのアパートの一階。不審な男二人が二階に上がり、音だけで彼女が下に引きずられていく描写が圧巻。どたばたやっていて、焦らせて、そして漸く階段の下に引きずりおろされ、そして車に乗せられ、その、ブーンと云う音
アコーディオンと爆撃、行進曲、民謡、アメリカの音楽から右翼の音楽へ、ジャズ、ダンス、銃、沈黙、そしてダンス・・・
/ひとりの男の子が広場へかけだす。それをなんとか?の子を引き戻せ、と云う合図で女の人が男の子を家の中へ引き戻す。旅芸人一座はテーブルを囲む。口笛を吹きながらテーブルに行く、でも不機嫌な男が辞めろと云う。そしてそのまま窓際に行く。そこで歌い始める。さっきの口笛の男は、不満なのか、云々。歪んだ昔のガラス窓。そこからみえるのは兵士の行進。兵士はぐるぐるとひろばの中央に植わっている木を廻る。廻るたびにそのガラス窓の歪んだところで兵士の整然とした行進は揺らぎ、隊列を乱されたようにもみえるが、また戻り、そして街の彼方に消えていく
/眠れない夜。トタン小屋のような民宿に泊まる一座。何かすすり泣きの様なあえぎ声のような声。暗がりから女性が出て来てそのドアの前へ佇む。パンは左に動き窓のなかの暗がりで絡み合う男女を映し出す。やっているらしい。再びパンは右に移動し、女性の動揺を伝える。女性はよろめきながらそのドアから立ち去る。
ムッソリーニがやっつけられている看板。やっているなんとか元帥は大きく力強く、ムッソリーニは小さく弱く、蹴られている。ファッショが倒れこれからは自由な世の中かと思いきや新しい体制は英国によってぜんぶ統御され、その支配下ではちゃっかりファッショが生き返り、そしてレジスタンスは改めて撲滅される。銃狩り。憲法のようなものを読みあげている新しい政府の役人。暫く読み挙げていると、彼方のアーチから馬に乗ったレジスタンス?が順々に馬から降り、銃やらなんやらを役人の前に置き、画面の左下の方へ消えてゆく。
/ドンぱち。暗闇の中、中庭の様なところ。左側から人が逃げて来る。右に消える。銃の音。左から銃を構えた人。撃ち返す。ドンぱち。ジープが来る。ジープもドンぱち。爆薬。その間に画面の下の方から、左から右に旅芸人が逃れて行く。戦闘から「ずれる」ことにより、それは最低の安全を確保する。暗い通りのドアのところまで来る。
/海岸沿いを歩く旅芸人一座。すると、「お前らは一体何ものだ」。怪しいものじゃない。ゲリラじゃない。荷物を検閲する将校たち。なんだ、旅芸人か。あはは。洋服を弄ぶ兵士たち。「だったらお前らひとつやってみろ。」一座は波打ち際で例の羊が三匹描かれた幕を背景に、演じる。それも人が死ぬシーン。で、クライマックス。拍手。兵士たちは少しずつ人間を取り戻す。将校が「おまえ」と呼びかけてひとり出て来るが、おまえじゃないと一喝。その代わり指名されたのはアコーディオン弾き。何をされるのかと思えば曲を弾けと。ららららと歌う。この曲だ。この曲ですかと弾き始めるアコーディオン弾き。どんぴしゃだったらしく、その将校はいきなり一座のひとりを捕まえて舞踏を踊りだす。ひと組、ふた組、三組。何組ものペアが出来、享楽のひととき。何人かはペアを組まずに佇んでいる。と、やっぱり銃の音。みんな掃ける。残ったのは殺されたひとりの兵士。場面変わり、中庭のような場所にポールが立っており、そこから紐のようなものがいくつも下に垂れており、そのひとつひとつの紐を派手な洋服を着た旅芸人一座が手にとって廻って居る。
/男たちは女性を捕え、もみくちゃにして取り囲み、捩じ伏せて、集団レイプの様なおぞましい像が映し出される。その陰影が絶妙に凶暴である。男の揺れ方がレイプを暗示している。たまに女性の顔を叩く男。「何処にいる」。「何処にいる」。・・・「山の中」。所変わり橋をバックにその女性は何事もなかったかのような無表情でときどきカメラに視線を合わせながら、腕を組みながら語る。ナレーションの様な感じであるがそれは映画に辛うじて留まる。それはやはりコロスのような。
/男性は、ガラス越しに軍隊の行進と行進曲を聴きながら、やはり歴史を語る。収容所に入れられたひとの経緯。横向きに語り、そのうち少しずつカメラの前へ身体を傾ける。併しまだ視線は合わさない。そのうち、少しずつ視線を上に向ける。だが視線を観客に直に合わすことは女性よりは少ない。
/列車のたぶん三等席であろう、木の椅子に座って居る男性。突然キャメラを直接眺め、観客に歴史を語り始める。
/旅芸人の劇。女性と男性の喧嘩のシーン。女性をそんなに深くうけとめちゃだめよ!もっと流して、云々。場面は舞台裏、拳銃を持った男。銃を下から上に向ける。この男、自殺するのか?場面戻り、劇は続いている。台詞は銃を持った男のシーンでもそのまま流れ続けているので、違和感なく劇場の劇の場面に移行する。すると右端からぬっと現れたさっきの拳銃を持った男。旅芸人一座は小さく、男は変な大きさを持っており、でもそれは暗く陰質。最初から銃を旅芸人に向けて居る。瞬間的に危険を察知した旅芸人三人。男、「我慢ならない」。旅芸人の女が何か云いながら男に踏み出した瞬間、銃を撃つ。女は暫く硬直してからよろよろと倒れる。残り二人、逃げる、併し舞台から観客席若しくは舞台裏に逃げる間もなく、舞台上で撃たれる。それもまた宛ら「劇のように」倒れる。シーンとした劇場。と、するすると幕が左右から閉じる。観客、嵐のような拍手。いまのは劇だったのか!。併し幕が下りた舞台ではやはり動かない三人。必死になって介護をする。楽屋から外に運び出される三人の死体。救急車。ギリシャの救急車はこんな箱のようなものなのか。といっても、七十年前のギリシャの救急車だ。運び終えられ、救急車は街にブーンと暗がりに消えていく。呆然と楽屋の出口に出揃った旅芸人一座。祈りながら、見送る。仲間を埋める為に喪服を着て横に並ぶ旅芸人一座。左には糸杉。旅芸人一座の前には四角に大きく掘られた穴。そこに棺を埋める。引きの構図。糸杉は上の方まで出て来るまで、どんどんパンは引かれていく。そこにも水気。
/刑務所に会いに行く女性。残念ながら49年12月?に死刑の判決が出ました・・。何か所もの柵の扉を開け、辿りついたところに息子?の死体。左手をベットの外に垂らしながら微動だにしない。死体だから当たり前である。暫くして女性は、おはよう、と呼びかけながら泣き崩れる。
/女とやろうと男は激しく揉み合うが最後は突き飛ばされる。そのあとに、女は命令する。「裸になって」。一枚一枚丁寧に脱いでいく男。最後は真っ裸になる。女と男の逆転。男の局部には白くひっかかれてみえなくしているのであるが、そのひっかかれている感じのごちゃごちゃが大変抽象的な、チェコ映画のような手法に思えて、其処だけ切りだして現代美術作品にしたくなってしまう
/戦争が終わって、そして引きの構図。いくつもの水たまりがあるようなところ。大勢の群衆が右からかけて行く。その真ん中にはナチスの鉤十字の赤い旗。それをもって大勢の群衆はわいわいやって、その群衆はだんだん左に移動していき、そしてついに崖からその鉤十字を投げ込む。水の中に落ちる赤い旗。
/ひろば。ワ―ワ―やって居るとやっぱり銃の音。群衆が掃けた後に死体が四人ばかり。そこにひとりの女が花?を手向けに来る。と、その瞬間に死体のひとりが突然立ち上がり、そそくさと画面の左下の方へかけて行く。画面切り替わり、ソ連の旗。共産主義はふきあれ、その行進は再び広場へ。
/戻ってきた仲間はベットの上に居る。やけに小さな体に見える。画面中央に窓。二人はまた旅に出ようと誘うが戻ってきた仲間は出来ない理由のようなものを語りながら過去の方向に話を進めていく。
/劇。ギリシアのコロス。古典的な、ほんとうに古典的な劇。幕にはいつも羊が三匹描きこまれている。
/結婚式。やはり波打ち際でのテーブル。結婚行進曲。わいわい祝祭。アメリカ兵士と女性の結婚式。テーブルにはギリシアの国旗とアメリカの国旗。女は子供の紹介。子供にハウドゥ―ユードゥ―とやけに明るく話しかけるアメリカ兵に対して紹介された子供は無言で自分の席に戻る。宴もたけなわ、突然子供はテーブルクロスを引き、並べられた食器や食事をぜんぶ砂浜へおとし、テーブルクロスを引きずりながら黙々と画面の右はしのほうに歩いてゆく。呆然となのか淡々となのかよくわからない。海をバックに、夕日をバックに。逆光の浜辺を、子供はテーブルクロスを引っ張りながらただただ右の方に移動していく。テーブルクロスの端にはまだいくらかの食器がからからと絡み合ったまま引っ張られていく。


・いろいろ考えさせてくれる余地を与えてくれる四時間。