この五日ばかりの日記と、色々な感想やレビュー






・五月二十七日、日曜日

風景画教室が急な事情で日程変更になったので、今日も休み。今週は月末と云う事もあり仕事が少ない。勿論金銭的には厳しくなるけれども、最近調子を極度に落としていただけにこの纏まった休みは非常に貴重なものとなった。未だ本復ではないが、日に日に体調が良くなってくるのが判る。
日中は久しぶりに写真撮影をしにいつもの浜田山迄の道筋を自転車で行く。荻窪団地はすっかり更地になり、あの偉容を極めた廃墟は脇へ寄せられた瓦礫の山(それももうそんなに多くない)にその片鱗を留めるのみである。今日は一点の雲もないくらい爽やかに晴れており、非常に暖かいのだが湿度が低いためか暑いと云う感じが全くしない。影もくっきりついており、写真を撮るのに絶好の日和である。浜田山のドトールで珈琲を啜り、カルディと成城石井で棚を眺める。これは決まったパターンになりつつある。私の場合制作でもそうなのだが、ミニマルなパターンの繰り返しと、非常に拡散的な方向性が混在していると思っているが、多分これはミニマルなパターンの方だろう。
夕方、OKで鍋のもとを買い、久しぶりにつくる。矢張りしっかり自分でつくる飯は美味い。
夜は大河ドラマ。今日はひとつの山場「保元の乱」を迎えた。同族同士、親子同士のそれこそ骨肉の争いを非常にしっかり丁寧に描き出す。散々判りにくいだの汚いだの清盛が単純だの批判を浴びてきた大河ドラマだが、いやいやとても面白いですよ。一般的に馴染みのない平安時代を、硬直した目線でなく描き出すことに成功して居る。平安時代だろうと貴族だろうと武士であろうと、矢張り詰まる処は人間である。白河法皇鳥羽法皇後白河天皇の、狂気の道筋が非常に良く描かれており、この三人の演技はいずれも絶賛に値するだろう(伊東、三上、松田)。頼長、信西(山本、阿部)も非常に魅力的だし、源氏親子の確執もリアルである。清盛も逞しくなってきたし、忠正の揺らぎやすい立場や心等も丁寧に描かれている。
平安時代の戦闘と云うのは、大乱と云ってもこんな小規模なものであり(平氏が300騎、源氏が200騎等)、それも大将同士の一騎討ちなど悠長なことをやっているところなど、意外と時代考証も的確なのではないかと思わせる。









・五月二十六日、土曜日


昼間、掃除。副職が無くなったので、洗濯掃除。ぐっすり眠ったので、まだ完全に調子が戻ったわけではないが、多少疲れが取れている。

やはり掃除をすると、様々に狂って居た身体や気持ちのリズムが再び調律されるのが判る。夕方、中目黒へ。KKが主宰する食事会。集合時刻の七時ちょうどに着いたのはいいが、主宰のKK以外知人が居ないのでKKに電話してみれば、まだ着いて居ないと云う。中目黒駅の改札まで戻り、KKと十分遅れて会場へ入る。

会場は、お洒落なシンガポール料理屋さんで、女性四人と男性四人。そして男と女は向かい合う。なんてことはない、合コンじゃないか。KKに誘われたときに、それって合コンじゃないの?と訊いたらそうでもないと云う答えだったが、KKよ、こう云うのが合コンなんじゃございませんこと。
僕は普段男性も女性も余り関係なく胸襟を開いてざっくばらんに話すのが好きだし、先ずは何と云っても「人間」として遠慮なく話すのが自然であると思っている。必然的にそう云った感じの雰囲気の友人が男女問わず多いし、恋人なども全くそう云う感じで自然な流れで出来るものだと思っている。従って、図らずも「合コン」なるものに参加するなんて云うのは十年以上ぶりであるのだ。

始めから「女性」を「女性」と思いっきり意識するのが前提であると、かえって僕なんかは完全に調子が狂うのであり、「女性」のもてなし方なんて云う暗黙のテクニックなんて云うのも全く関心外なので、かえって何だか砂を噛むような感覚である。(元から僕はどちらかと云うと女性のほうが喋り易いくらいなのだが、「女性」と喋りなさいと云われると、かえって良く判んないので、寧ろこういう時は男性と喋って居た方が気が休まると云うのが良く判った。)
それでも普段の通りマイペースに喋って居たけれど、一番遅れてきた男性がまた物凄く世なれたと云うか、こう云う場所で「女性」にもてなすと云う「テクニック」と「話術」がずば抜けて居り、ああこう云うのが一般的な感じのもて方なのだなと思う。話を訊けば、その男性は男三人兄弟で育って居るとのことで、もしかしたらそういうのも影響しているのかもしれない。女性の方も所謂良家の子女が通う大学を出てお嬢様と云う方々ばかりで、久々に私は「一般社会」を味わうのであった。
まあそもそも「一般社会」と云うよりは、場所も中目黒、そして大体が東横沿線の住人か都心一等地住まいであって、思いっきり「渋谷」文化圏の風習なので、「新宿」文化圏にどっぷり浸かって居る私としては(知ってはいたけれど、改めて)非常にカルチャーショックだったわけなのである。端的に云えば「渋谷東横文化圏の一般社会」であるわけだろう(いや、これこそが決め付けというやつかもしれない、いかんいかん)。
そして、「当然」男性の方がお金を多く払う。新鮮な体験でこれはこれで面白かったが、そういつも参加して居たらお金がいくらあっても足りない。世間で「しっかり」稼いでいる人は、こういうところにお金を使って居るのだな。
単純に何冊分の本が買えるのだろう、等と私は思うのである。









・五月二十五日、金曜日


身体の不調が続いている。やはり風邪から来ているのだろうと思う。未だ胸のあたりが苦しいようなもどかしいような感じがして痰は出るし、咳もたまに出る。身体の芯がやられているようなので、力が出ない。朝布団からなかなか出られないし、出ても暫くは活動できず。初期のほんとうにだるい感覚より、少しその感覚がずれてきたようにも思う。決して悪くなっておらず、大かた恢復に向かって居るようなのだが。まあいずれにしても、もどかしい。


・今日は朝から小雨がぱらつく。昼頃まで中々動き出すことが出来ず、漸く昼過ぎになって動き出し、取り敢えず雨が降って居るので閉じこもりっぱなしになってしまうのもどうかと思い、外に出ることにした。取り敢えずベローチェに行き、珈琲を啜ると、少し体力も恢復したような気がしたので、一旦家に戻って必要なものを持ちだしてから、吉祥寺まで自転車を漕ぎだす。運よく、雨は止んで、傘を差さずには済んだ。


・まず、西荻窪の遊工房に行く。何人かのグループ展をやっていたが、村上綾の地図を切り取って肺の形にしたような作品があって、それがとても美しい。ただコンセプチュアルなものを追究して居てとても筋がよいのだが、作品に残る物語性の残滓がコンセプチュアルの鋭利さを丸くしてしまって居るようで、それがもどかしくもある。例えばその「肺」の形にしてしまう処など。確かに人間が常に呼吸をして生きていく都市なのであるが、云い換えればそう云った割り切れた陳腐な解釈に作品を限定させてしまうきらいがあるのではないか。
小瀬村真美の映像作品にも云えることなのだが、そのコンセプチュアルを小洒落た「物語」に包まない方が、寧ろ作品の解釈の複雑さの幅が拡がるように思う。
「閉じた」作品よりも「開かれた」作品のほうが興味深い。


・次にongoing。お目当ての作家さんの期間はもう終わって居て新しい作家さんのインスタレーションになって居た。田舎のおばあちゃんやおじいちゃんに、自分の創った?コスプレを着させて、じぶんが創ったかたつむりの人形とともに踊ると云うような、十分弱の映像作品。コスプレを着ることでおばあちゃんやおじいちゃんが子供のころに還ったり祭りっぽく解放されて異次元に接続される、みたいな感じ。そんな映像に、彼らの想い出話が重ねて流される。と、文章で書くだけで満足してしまうような或る意味割り切れてしまう、作品。
「開かれた」「複雑な」「拡がる」作品に出会うのはなかなか難しいようだ。


・さらにA-thingsに行く。先日移転したらしく、前よりも若干不便な位置になる。末永史尚の個展。流石にこれは面白かった。「開かれた」「複雑な」「拡がる」要素が満載で、「謎」や「未知」、そして何より観客が「これはなんだろう」と色々と突っ込み、考えられる余地がある。観客も作品を一緒に創っていくことができる余地が残されている作品群で、とても気持ちがよい。
そして純粋に絵として魅力的である。前に描いたじぶんの絵の部分を拡大してそれをトレースしたと云う作品。抽象的であるが、何か具象の「痕跡」を感じさせるものである。それが色々想像を掻きたてる。色もとても明るく綺麗で、リズミカルな構成であり、ドライなのだがじゅうぶんにリリカルである。

画廊の奥には生地屋さんがあり、丁度お客さんに生地を選定して居るところであった。ちょっとのぞいてみると、極端に用心深い態度を示され、画廊を観に来たのですと云うと、生地を選定して居るお客さんには愉しそうに愛想良く話していると云うのに、なんだかとても迷惑くさい顔をされた。毎回ここの生地屋さんの店主の無愛想さや、怪訝そうな顔には呆れるのだけれど、ここまで徹底して居ると中々面白くもある。批判してばかりでは詰まらないので、この態度に面白味を感じてみよう。彼女はひょっとしたら、そもそも画廊のことをあまり良く思って居ないのかもしれない。さしずめクサンティッぺと云うところか。想像が拡まる。
夜は、制作。風邪と云う事もあり非常に疲弊して居るので早く寝る。







・五月二十四日、木曜日
南行徳。ドトールで珈琲を啜る。授業をやった後、いつものマックでいつものセット。夜、西田博至の講座を聴講する。柄谷行人の『マルクスその可能性の中心』を精読していく。まずは前半の五十頁まで。併し重要な箇所が多いので、一時間半たっぷりの講義であった。併し柄谷の云って居ることは、常に一貫しており、其処から語られ変奏されるわけなので、この柄谷入門としての第一回目はこれくらいしっかりと精読するに越したことはないと思われる。私もこの講座を機会に読み直し、新発見したところも多々あり、共感するところも多かった。ただ講師の西田氏は風邪をひいていたようで若干疲れ気味な様子。私もこの頃ずっと風邪気味で辛かったので、早めに寝る。









・五月二十三日、水曜日
火曜日の夜、MRYからメール。モートン・フェルドマンピアノ曲を至近距離で聴いて非常に素晴らしくて感動した旨。その演奏会は大塚であったそうだが、実は水曜日にも同様の演奏会が千葉の稲毛であるそうで、非常に遠いけれども是非時間があったらいってみてとのこと。有り難い友人が居るものである。MRYの云う通り、フェルドマンの一時間を超える大作・「トライアディック・メモリーズ」(1981)を眼前で聴けると云う機会なんてそう滅多にあるわけではないので、行ってみることにする。
開演が八時からなので、夕方ころに中央線に乗りこみ、お茶の水総武線に乗りかえるわけだが、何故か非常に混んでいて吃驚する。錦糸町で快速に乗りかえる時にスカイツリーがみえた。

稲毛に着くと、未だ時間があるので街をぶらつき写真を撮ったり本屋に入ったりする。夕飯は松屋。稲毛の街は二月に行った西千葉と同様、殆ど縁が無いような街だと思う。同じ首都圏にもかかわらず、文化・感性が違うと云うのがびしびし伝わってくる。そのアウェイな感じは、例えば大阪や京都や神戸等の都市に行くよりも、埼玉の諸都市(大宮や浦和や岩槻)や神奈川よりもずっとアウェイなものである。街の人の雰囲気も、違う。まさに「肌に合わない」。もし此処で暮らすことになったら、私はちょっとずつ狂っていってしまうのではないかと云うような迄の拠りどころのなさを感じる。

開場の七時半になったので会場のキャンディに行く。未だ扉にはクローゼットの文字が掛かって居たが、もう一人お客さんが来て、たぶん同じことを考えて居たのだろう、さかんにまだ開かないのだろうかと云う仕草をしていたので、「もういいんじゃないですか」と私が云うと、彼は扉を開けて中に入る。それの後に続いて中に入る。

中に入った途端に圧倒される。薄暗いモダンな照明に映えるのは勿論左手に鎮座して居るピアノなのだが、何よりも中央奥のカウンターの後ろにはぎっしりとレコードが詰まった棚が壁一面に在る。ジャズ喫茶と聴いて居たけれども、これだけでも半端なく極めて居る店だなと云うのが判る。そして極めつけは、私の席の丁度ま後ろに鎮座するどでかいスピーカーである。このスピーカーの何たる音の良い事なのだろうか。パスカルかなんかの「人は絵を観てあたかもほんとうのようだと云って驚く」と云うような箴言があったが、まさにほんものの演奏よりも「感動的」に思わせてしまうな音質であり、既にフェルドマンを聴く前からその音の心地良さに夢見心地になるのである。これは余りのスピーカーの音の良さに、ほんものは負けはしないかと不安になるくらいであったが、勿論ピアニスト河合拓始の第一音を聴けばそのようなものは払拭され、あっというまにフェルドマンに包まれるのである。

フェルドマンのミニマルでゆったりした曲は、果てしなく続くような音の航海のような気持ちである。「音」じたいに、ここまで純粋に陶酔し続けたことなど後にも先にも在っただろうか。然も一時間以上も「音」の心地良い響きに身を委ねることが出来ると云う幸せである。河合氏は相当練習を重ねてきたのであろう、一音一音徹底的に解釈が行きとどいており、一時間以上の曲であるのにもかかわらず一切の妥協がみられず、研ぎ澄まされた意識で弾き通した。単純な音の繰り返しだけに、ちょっとしたミスが命取りになるくらいなものである。それだけに、なまじっか例えばブーレーズの様な譜面を弾くよりも、或る意味ではずっと難しいだろう。ペダルの踏み方も非常に的確に制御されており、普通のペダルは勿論、ソフトペダルの使い方が絶妙であった。フェルドマンの曲は独特な内向性と柔らかさとくぐもりのようなものが、その類稀なる求心性に貢献して居ると思うのだが、その秘密のひとつはソフトペダルにあるのだろうと云う事が具体的に判明した。
後で河合氏に訊いてみたところ、かなり此の演奏会では多用して居たそうだ。ただ、時と場所によって変えており、前日にやった大塚の演奏会では余り踏まなかったそうだ。因みに大塚の方が大きいホールだったと云う事である。更に河合氏に譜面もみせてもらったのだが、その研究ぶりが矢張り只事でない追究ぶりであることが判明する。譜面にぎっしり書き込まれて居るのは勿論、態々じぶんで考証しなおした譜面を、元の譜の上に張り直したりしているのだ。特にフェルドマンの様なミニマルな曲では、じぶんの捉えやすいように譜面を再構築再検証しなければ、うっかり繰り返しを省いてしまったり一小節飛ばしてしまいかねないものであろうから、やはりこの作業は必然なのだろう。併しその綿密な作業には驚嘆した。
約七十五分の大曲「トライアディック・メモリーズ」も、私は少なくとも全く長いとは感じなかった。これは不思議なくらい長いとは思わない。その時間感覚は恰もアンゲロプロスの長大な映画を観ている時に感じているものと似ているようである。まず何かの筋を追わないで済むと云う事、そしてその長くてミニマルな時間の時にじぶんが好きなだけ「それに就いて」考えることが出来る、マイペースに噛み締めることが出来ると云うこと。原理的、抽象的、哲学的、内向的、微視的な特性の魅力が最高密度で持続し続けている時間。これは限りなく幸福な時間である。
その次に弾かれた小曲二つと、ケージの佳品もまたとても良くて、ペダリングの技術や音の組み立て等を、非常に微細な処まで可視的に理解することが出来た。尤も私の席はピアノと殆ど二メートルくらいしか離れない位置で、然も絶好の角度で河合氏のタッチのひとつひとつまでみえる、砂被りの様な席で観ることが出来たと云う幸運も重なったと云うのもある。

至福の一時間半が過ぎ、併しそのあとも愉しい時間は続いた。ウィスキーを呑みながら、隣に座って居た作曲家のTSと一時間以上現代音楽や現代美術の事などの会話を愉しむことが出来たのも非常に貴重であったし(何よりもTS氏は、アラザル七号で西田博至が七万字のインタビューを行った鈴木治行氏とも関わりが深いのだ)、そして音楽批評のNYとも帰りの電車の中で色々語ることが出来た(実は開場前に「もういいんじゃないですか」と私が声を掛けて、キャンディに最初に入場したのはNY氏であった)。お客さんは十人くらいしか居なかったけれども、こう云うコアな錚々たる面々が集まって居て、愉しいひとときを過ごせたのも幸せである。演奏会を薦めてくれたMRYに感謝である。
http://www.sepia.dti.ne.jp/kawai/schedule.html

さんざんアウェイだと思い込んだ稲毛にこんな素敵な空間と、音楽と、出会いがあるとは。帰りに彼らと観る稲毛の夜景は何だか魅力的な気がした。