二歳の世界



・ごく小さい子供のとき、ソファーの感触や隙間への執着とか、何かにくるまれる悦びと云うものが、たまらなく気持ちよかったのを憶えている。特に、布団の中に懐中電灯を持ち込んで潜入する楽しみとドキドキ感は、いまだに克明に記憶されている。身体が小さいだけに、そんなことでも一大冒険なのだ。常に寝るときには両親と私の三人分の布団が和室に「広大」に敷かれたので、いくらでも冒険世界は拡がった。
先日会ったMMの二歳の子や、その前に会ったNの子などを観察していると、そんなことを思い出す。
あのころの、むやみに気持ち良い鋭敏な身体的感覚は、やはり子宮の思い出と繋がっているのだろう。もう、今は記憶にあっても、二度とあのむやみな快楽を味わうことは出来ない。今、布団に潜った中で懐中電灯を照らして布団の皺に世界を観ようとしても、難しい。すぐに息苦しくなってしまって、恐怖感すら味わう。身体的にも、知性的にも、当然だけど、安心感などと云うものはそう簡単に得られなくなってしまったのだなあと改めて思った。



・MMの子は、警戒心が強いのか嫌いなのか、僕が近づくと、なんともいえない顔をした。いかがわしいなあというような、疑いの目というか、あんたつまるところは一体なにものですか、というような。二歳にしてあのような複雑な表情をするとは思わなかった。そして実際そういう複雑な感情が備わっているということなのだろう。言葉や行動に上手く表せないだけで、ちゃんと表情には、大人顔負けのそういう微妙な心の機微が判っているちのだろうということがよく解って吃驚した。