鴨南蛮、明治大帝、浅草御蔵前書房、佐藤イチダイ



・朝、風景画教室に教えに行く。もちろん非常に寒いのだが、陽だまりのところで描いているとそうでもなくて、自分自身の絵も生徒さんの絵も順調に進捗した。それでも途中で陽が翳って寒くなったので、近くの京風そばを食べた。鴨南蛮をご馳走になる。鴨が宛ら牛肉のような重厚な味で、噛む度に濃厚な肉汁が口の中に蕩け出してきて、身体の心まであったまる。そのあと、近くの上島珈琲店で黒糖ミルク珈琲を飲みながら講評会。



・飛鳥井雅道『明治大帝』や相馬基『相撲五十年』を読む。『相撲五十年』は読了。近代相撲史の流れを把握するには実にすばらしい好著である。江戸から明治大正の頃にいたるまでの近代大相撲興隆の過程はかなり錯綜してわかりにくいのが常なのだが、この本を読むと不思議とすらすらと頭の中で整理される。



・金曜日に、相撲古書で非常に有名な浅草御蔵前書房に行く。http://www.mmjp.or.jp/Okuramae-Shobou/ http://blogs.dion.ne.jp/tokusan/pages/user/search/?keyword=%C0%F5%C1%F0%B8%E6%C2%A2%C1%B0%BD%F1%CB%BC
蔵前国技館の時代から創業六十年と云う。おそらくここがデーモンや逆鉾などが足繁く通ったと云われる古本屋であろう。なんだか棚が崩れ落ちそうな典型的な古本屋だ。どんなにか相撲文献がたくさんあるかと思い意気込んで見るが、ざっと観たところそんなに相撲文献がすくない。ちらほらと散見されるのみで、相撲の古い番付等が集積していてさすがにそれはかなりマニアックな番付があったりして目を見張るものがあったけれど、そちらのほうは一枚何千円何万円とするので、そういう収集の趣味ではないので買わない。それで、肝心の相撲文献がない。そんな筈はないだろうと思ってふと見れば、あった!なんと、二本しか通路がないと思っていたら、中央部の棚と棚の間になんと狭い三本目の通路が存在しており、そこが相撲の本がずらっと網羅されていたのであった。特に雑誌「相撲」のバックナンバーがずらっと並び、奥のほうには色々貴重な本が並んでいる。しかし、さすがに常陸山谷右衛門『相撲大鑑』や酒井忠正『日本相撲史』はない。あるわけないかこんな稀覯本。あっても簡単に表に出すわけないか。でも横山健堂の『日本相撲史』くらいはあってもいいかも、これは僕も持っている。新田一郎の著作も揃えておいてほしい。高永武敏の本はそんなにほしいとは思わない。総じて、学問系の相撲文献には弱そうだ。尾崎士郎の『雷電』全五巻はあった。いろいろ探したがちょっとでも面白い本は抜け目なく値段が高い。相撲文献では、、と自負するだけの値段である。
そのなかで相馬基の『相撲百年』を見つけた。これは先まで読んでいた『相撲五十年』の文章をそのまま前半に、それから先の何十年かの新しい相撲の歴史を加筆した著作である。これはぜひ買わなければと思い、値段を見れば、シミありと書かれていて、二千五百円。まあ手に届かない値段ではないので、買ってみる。
結局、他の古本屋を足繁く通っていたほうが、結果的に安く手に入る文献も多いような気がする。




・蔵前を出たあと、門前仲町で降り、アルマスGALLARYでやっている佐藤イチダイの個展「A scene from invisibility」を観る。http://ichiduka.com/
会場に入った瞬間、正面のでかい二対の絵に圧倒される。こんなに伸びやかな絵を彼は描けたのかとびっくりする。人間のどろどろとした深層心理の泥の中から蠢いて、ときどき噴出すような、超現実な絵画を描く佐藤だが、今まで観てきた絵や、小さな絵だとどうしても「伸びやかさ」のようなものがなく、画面の中に無難に収めてしまいがちだった。しかしながら今回の二枚の絵は非常に「抜けて」いた。
それは二対の配置の仕方が絶妙だったからでもある。二対の絵と絵との間の距離が絶妙で、非常に活きていた。ある意味、インスタレーション的意識が非常に高い平面だと云えよう。その配置や空間まで考えられながら描いたであろう意識が、二対の絵にはしっかりあった。白い壁を、空間を、ひとつの作品として魅せてしまうような要素があった。また、大きな画面にもまけずに、非常に決然として筆を運んでいるのも新鮮であった。いじいじしていなかった。逡巡していなかった。
また、画廊の事務室の中にあったドローイング集にも、過去にはあまりなかった伸びやかさと拡がりを垣間見ることができ(画廊の人が云うには「過去の作品」ということだったが)、「おお、イチダイ、がんばっているな。俺も負けずにがんばらなければ」と思ってしまった。家に帰って作品を創りたくなった。そういう展示はいい展示だと思っている。
個人的には、もっともっと佐藤イチダイは「上手く」なるべきだと思うし、「上手く」なっても、良さは失わないタイプだと思う。今回の大きな絵やドローイング集にはそのいいベクトルの「上手さ」の萌芽と片鱗が出てきていたからである。いや、あの大きな二対の絵は、やっぱり相当な実力がついてきたのだなあと思った。あとは素直に小品の精度(伸びやかさ)をもっともっと上げていけばよいのではないかと思う。