書きはじめる。



・やっと、アラザルの原稿を書き始めることが出来た。書きはじめることが出来れば、あとは、流れで何とかかんとか進んでいくような気がする。とにかく、発進することが出来た。
文章は書き出しと終わりが大事だと云う。たしか『芥川龍之介』のなかで宇野浩二も云っていたけれど、書き出しが上手い人と終わりがうまい人のことをカキダシストとキリストと云うらしい。
が、たとい書き始めたところが書き出しにならなかったとしても、書き出しても何とか上昇気流に乗って書いていけるだろうという「しっくりした感覚」が出来上がったのだから書きはじめられたんだから、良しとしよう。



・購入 『近代日本交通史』 明治維新から第二次大戦まで 廣岡治哉著、法政大学出版会/『仔牛が樫の木に角突いた』 ソルジェニーチン自伝 染谷茂・原卓也訳 新潮社/『ホモ・ルーデンス』 人類文化と遊戯 ホイジンガ著・高橋英夫訳 中央公論社/『回教概論』大川周明 中公文庫/『雑談にっぽん色里誌』小沢昭一 講談社


・『近代日本交通史』、これは掘り出し物。この一冊で明治維新から大戦までの交通史を、通史として網羅している。カバーに「鉄道・海運・航空・自動車 近代八十年の軌跡」と書いてある。詳しく書いてあるのにも拘らず、非常にコンパクトに収まっているのが良い。


小沢昭一のは、『吉原はこんな所でございました』や永六輔の著作などと併読して、ちょこちょこっと読み進めよう。と思い、買ってみた。そういえば昨日あたり、小沢昭一永六輔加藤武が、「徹子の部屋」に出ていた。小沢さんと加藤さんは八十一歳、永さんは七十七歳。典型的な老人になってしまった三人(特に永六輔の衰えは隠せない、パーキンソン病だと云う)だが、やはりなにやら昭和の未分化的なエロティシズムは消えておらず、テレビ草創期からの黒柳を含めた四人の、自分達自らが「見世物」であるという自覚と意思が、滲み出ていた。なんかこけしのような小沢さんだが、小さいのに、何か吸い寄せられていくような吸引力がある。最晩年の宮沢喜一を撮影したときに感じた感覚と少しだけ近い気がした。


大川周明の回教概論は、ちょっとさわりだけ読んだだけだが、とてもわかりやすそうだ。イスラム教とかイスラム圏の入門書はどれもなんだかわかりにくそうなものばかりだけど、これは実はイスラムを知るための入門書として(半世紀以上も前の本だけど)ひょっとしたらいまだに最良な部類なんじゃないだろうか。と、僕の勘は言っている。簡にして要を極めている感じだ。歴史の人物としての大川を知るにもいいきっかけだろう。これも改めてじっくり読もう。できればちくま学芸文庫版もほしい。