高島屋、三越、柴又、御苑、新宿。



・風景画教室。「日本橋高島屋を描く」二回目。みなさんは二日描いているだけの仕上がりを見せて、なかなか良い感じで出来上がる。昼ご飯は、日本橋三越のグリル満天星で御馳走になる。僕が選んだのはメンチカツ定食でこのコロモとか肉汁とか、やはり絶品。つばめグリルに並ぶ大手洋食屋だけある。ついでにカキフライ定食を頼んだマダムから二つばかりカキフライをいただく。これも美味しい。洋食屋、改めて強いなーと思ってしまった。結構混んでいた。
風景画教室の生徒さんたちと別れてから、二十時にあるアラザルの会合まで暇だったので何をしようかと日本橋界隈をぶらぶらするとすぐに日銀に出る。テレビカメラの仕事で特に決算のときとか、よくここに取材に来たっけなあ。日銀の九階で速水総裁を撮影したのも記憶に新しい。巨大な一枚板に思えるマホガニー製のテーブルの向こうに速水氏がぽつんと一人で会見している姿は印象深かった。巨大な机をはさんだこちら側は私を含むカメラマンの三脚や、夥しい数の記者たちが一斉に速水氏を注目している光景は、なかなか超現実的な光景だった。
日銀をぐるりと回遊していると貨幣博物館にたどりつく。前にも二回くらい来ているのでどうしようかと思ったけれど、また新しい発見でもあるかもしれないと思いふらっと入ってみる。やはり年月がたつと知識も増えるのか新しい発見がかなり多くて、なかなか興味深く見る。特に江戸時代の最後の紙幣から明治の「円」導入されてからの紙幣のデザインの変遷などは、歴史の知識も多少増えたせいか、そこからリアルな雰囲気を少し感じ取ることができた。明治に入って作られた太政官札にはこれ見よがしに菊のご紋が入っているのが、とても目につく。最近でも飛鳥井雅道や原孝史、江藤淳などの著作を読んだせいかなおさら目についたのだろう。その他にもこれまでにないくらい興味をもってみたが、話し出すときりがないのでこれくらいにとどめておく。


・貨幣博物館を出てもまだ十四時半。二十時まで時間があるので思い切って柴又へ遊びに行こうと思いたち、三越前から地下鉄に乗り、浅草から都営浅草線に乗り換え、そこから京成線に直通、さらに乗り換えて、四十分以上かけてたどりつく。実は柴又は初めて。降り立った途端、完全なる観光地だなと思った。駅のつくりからして非常に情緒的というか、風情があるつくりである。あまり似てはいないとは思うけれど、北鎌倉駅を思い出す。さて駅を出るといきなり帝釈天への参道の入口があり、そこの横には駄菓子屋さんがばーんと在る。ちょっと入ってみると、ボンカレーとかがいろんな種類置いてあって、ちっとも懐かしくないのに懐かしい。懐かしくさせられてしまうのであった。筋金入りの昭和レトロというやつである。町全体で昭和レトロを徹底していて、あまりの徹底ぶりに、けっこうそれがほんとうだったりするからすごい。やはり下町はなめたらいけない。巣鴨は老人の街だし、浅草はいわゆる観光地だけれど、柴又は、子供からなにから全世代がレトロなのがびっくりする。いきなり占い師に呼び止められて危うく占ってもらいそうになったが、夜のアラザルの会合でどうせ飲むのだろうと思ったので余計な出費を減らさないために、占ってもらわなかった。もし占ってもらっていたらどんな結果を云われるんだろう。今になって少しきになってきた。
参道にはほんとうに筋金入りのせんべいやとかいろいろ並んでいてついつい買いたくなるし食べたくなるのであるが節約だし我慢我慢。といっているうちにあっという間に帝釈天につく。流石はなかなか風情のある建物だ。お賽銭をいれて読経に耳をすます。耳を澄ますとたいへん心地いいのだが、御本尊の装飾などはまがまがしいくらい華やかで不思議な雰囲気を醸し出しており、いかがわしい一歩手前の大衆のための仏教であり、エロティシズムがあって、ちょっと胸がぞくぞくっとした。まあ帝釈天はインドの神様だと云うので異国情緒のようなものが漂うのも納得なんだが。でも、このいかがわしさと享楽と怠惰と世俗と、信仰。これとなんだか似たものを思い出す。大相撲である。ああ大相撲の感性と共通したものが柴又にあった。ここは異空間、一種のアジールであろう。ベタな観光地なんだけど、柴又を、僕は好きになった。
また帝釈天の寺院に彫りつけられた彫刻群がすさまじい。圧倒される。あいた口がふさがらないほどの仕事量と信じられないくらい高いレベルの安定した彫刻。完璧な職人の作業だ。ただ、何人か別々に彫ったのだろうけれど、個性というものがまったくそこではそぎ落とされていて、ただ壮大な伽藍の完璧な彫刻を誰もが完璧に彫りだしているだけだった。やっぱりこれは完璧な職人の作業であって、決して芸術家の業ではないと、身にしみてはっきりと解る。高村光太郎が、父高村光雲を批判し、乗り越えようとした時の悩みがものすごく直接的なかたちで理解できた。
帝釈天境内を出て、昭和初期の資産家の邸宅がそのままそっくり残っている、山本邸を見学する。山本某氏(名前を忘れてしまった)は、カメラのなんかの事業で成功してこの邸宅を建てたらしい。この邸宅も見学してみる。非常に広いお座敷がいっぱいあって、一面の硝子戸のむこうにはこれまた素晴らしい庭園が拡がる。しかしこのつくり、どこかでみたことがある。そうだ、江戸東京たてもの園でみた高橋是清邸だ。本当にそっくりでびっくりするくらいだった。ちなみに高橋邸はいま、たてもの園にうつされているがもとは青山にあって、カナダ大使館草月会館の間に、高橋是清記念公園として庭の一部のみ残っている。ここで是清は殺されたのだ。今日貨幣博物館でみた百円札の高橋是清像を思い浮かべたり、坂の上の雲で是清を演じている西田敏行などを思い浮かべたりする。ちょうど見学したのが四時十五分くらい。四時まで琴の演奏をやっていたらしいので残念。

・それから寅さん記念館の横を通り過ぎて(そこも立ち寄ろうかと思ったけれど入館料が五百円もするのでけちってはいらない)、矢切りの渡しの目の前まで行って、もちろん乗らずに冷やかすだけ冷やかして、河川敷の土手をひたすら二キロ歩き、JR金町駅に着く。そこで五時。陶磁器の店や、古本屋があったので立ち寄るが、ろくなものがないのでついAVの棚を見たりなんかして、どうでもよくなって、電車に乗る。新宿まで行き、そこから新宿御苑ベローチェまで歩く。そこでHAと電話。試験対策のアドバイスじみたことを語る。なんかたしになればよいのだが。ついでにMと電話したり本を読んでいたりしたらあっという間に八時近くになったので、西新宿でやるはずのアラザルの会議に行く。

・dhmoが非常に頑張って音頭をとってくれているし、ouiも戻ってきたし、コンスタントなSM君もいるし、なかなかスムーズに発進できそうな予感。会議が終わって、呑みにでも行こうかなと思ったところでMRIとHSも合流。けっきょくハルチカで呑み、東方見聞録で呑みなおし、終電ちかくに帰る。でも、みんな終電前に帰るなんて奇跡。アラザルはこんな健全な団体だったんだっけ? ・・ということで、家に帰って酔った勢いでざっとこのブログをうってみました。


・そういえば京成高砂駅で、携帯をうっているお相撲さんがいたんだけど、誰だろう?まだ若手だろうけれど、強くなりそうな体格をしていた。高砂という駅名といい、携帯をうっているといい、なかなか良い光景だった。みんな、おおっ!というかんじでちょっと目を輝かしていた。実際おすもうさんをみれば、八百長たたきなんかしたくなくなると思うよ。みんなおすもうさん、すきなんじゃんかよっ!!