折り合い、一気呵成、研磨、防御力



・このあいだは呑んでいたのでなんだか長文をかたかたと短時間で打ってしまった。こんなかんじでアラザルの文章を書けたらいいんだけど。
ん?!・・・そうかー、でもある程度呑んで、人とおしゃべりしてから、一気呵成に書いちゃえばいいのかな笑。まあでも、論考は少しずつじっくり磨き上げていくのがやっぱりいいかもしれないなあ。ぶつぶつ。


・組織や社会という大きな枠組みで考えること、そして一人ひとりの人間の生き方を尊重すること、詰まるところはサンデル教授の質問のように、「どちらも正義」というような回答になってしまうことが往々にしてあるのだが、どうそれを折り合いをつけていくかというのが、生きていくためにはとても必要なことであると、改めて自覚する。
慎重になりすぎて、堅実でありすぎると、創造的なところや冒険、一歩踏み越えた応用や例外なんていうことが怖くなって出来なくなってしまうことがある。かといって、それを常に模索しているということは、一つの甘さや一つの綻びによって、重大なリスクを伴ってしまう危険性もある。
さあ、どう「折り合い」をつけて生きていこうか。


・大相撲問題や首相の支持率低迷をみていてふと思う。石原慎太郎小泉純一郎なんて、菅さんや相撲界の比べ物にならないくらいひどいこと(大相撲に関して:時太山事件だけはあれは深刻に酷いから、しっかり糾明しなければならないだろうけれど)を平気で云うのに、やらかすのに、なんであんなにいつまでも人気でいられるの?人気さえありゃあ何言ってもよくて、人気がなくなれば、どんな些細なことでも罪になるのかな?特に石原なんてさあ・・・。大相撲も菅も、もう少し温かい目で見てあげればいいのに。

でもねえ、ちょっと考えると、やっぱり批判されようが何しようが、そういうことを一切恐れないという自分の強さが在る気がするな、石原とか小泉とかには。そういう強さというか図太さというか、なんというかそういうのがあるのっていうのは、なんだかんだで生き残っていくものなんだなと思う。小沢一郎もつくづくそうだなあとおもうし、彼は、そういう厳しい自体にさらされても図太く絶対に自分のペースを見失わない「防御力」が物凄く高いところがすごい。朝青龍は、すぐにへこむけれど、変幻自在、自分の弱さまで武器にしてしまうところがすごい。どちらもしぶといし、面の皮が厚い。

要するに相撲界も、菅も、もう少し批判されることを恐れずに、ガンと自分を失わず、小心翼々としないで、やったればいいんだよ。もうさ、落とされるところまで落とされたんだから、開き直って、「悪人」になったらいいんだよ。


ただ、一人だけ、図太いというよりも、本当に勘違いな人間が居る。勘違いというよりは、もはや、少しおかしくなってしまったんじゃないかと思う、この頃の鳩山由紀夫。彼はたぶん、首相のストレスできっとどっかのネジが十本くらい飛んで、戻らなくなってしまったのだろう。ストレス耐性がなかったのであろう。もとからそういうぶっとんだ「資質」はあったけれども、彼は、首相を経験してから明らかに、逸脱してしまったように思う。昔からテレビカメラの仕事で撮影していたけれど、誰が見てもおかしい勘違いな意見は(中身はないんだけれども)、云っていなかったように思うのだけれど。最近の彼の行動と発言は、議論の余地が全くなく、「余計なことするな、云うな」に尽きる。


・さて、人のふりみてわが身を・・・




・購入:『中国の屏風』サマセット・モームちくま文庫/『エッダ グレティルのサガ』中世文学集Ⅲ、ちくま文庫/『原典訳チベット死者の書川崎信定訳、ちくま学芸文庫/『新東海道五十三次武田泰淳中央公論社山口瞳の諸作

・『新東海道五十三次武田泰淳安部公房の『榎本武揚』などを面白く読む。ショパン評伝とか福永武彦の『意中の文士たち』とか『林檎学大全』とか、いろいろ回し読みする。昼間、電車に乗ったり喫茶店で読む本は、本格的な評論か、長大な小説などが多いが、寝る前や起きて頭がさえるまで読む本は、こういうような中編、そして短編の集まりのような本を読むことが多い。特に短編集にかんしては、パラパラ開いてフィットした物語から、読みたいだけ読む。この自由な感じがたまらなく幸福なのだ。こんなに本を買い込んで、ぜんぶ読めるの?とよく聞かれるが、この方法だと「積ん読」にはならないし、多くの本を長期間、好きなだけ愉しめるので、お勧めする。