3月11日、東京都杉並区、東日本大地震



地震のときは、荻窪ベローチェで読書。



そのゆれは、突発的に「激しい!!」というよりも、初めは、ゆらゆらゆらゆら、と云うような程度のものが、だんだんゆさゆさゆさゆさと云うようになり、兎に角、長く続いた。
いろんな波長を含む複雑な揺れであった。初めのうち、何だか遠いところの大地震の揺れがここまで来たのかのような揺れであった。
とっさに、新潟の中越地震のときの揺れを思い出す。その時は本郷三丁目のマックの二階に居た。その時は、ゆーらゆーらゆーらゆーらと、非常に長い間、ゆっくりと回転しているような感じで、その中にいろいろな波長を含んでいた。それはそれは気持ち悪い、得体のしれないような不気味な揺れで、普段の地震よりもずっと、心の奥底まで低周波が喰い入んでくるような、大きく激しくはないが不快な揺れであった。その時、東京は震度3くらいであったろうか。
今回はそれよりも激しくなったので、もう少し近いところで起こったのではないだろうかとも思い直したりする。



揺れが来てしばらくは、初めの10秒程度は中越地震のそれと同じようにゆらゆらゆらと云う感じであったので、東京は震度3くらいかなあと思って、読んでいた本をまた読み始めようかと思った矢先にゆさゆさゆさが来たので、さすがに席を立って様子を観ていたら、「窓側は危ない!」と云う声がして、ふと我に返って少し下がる。気がついたら窓側に長いコードでぶら下がっていた照明(ガラス球)が大きな窓にぶつかって破壊されそうなくらいであった。あともう少しでぶつかる!と思ったときに、振動が少しおさまってくる。


地震と云うのは往々にしていきなり来るものだが、大したことはない、だいじょうぶだろうと落ち着いて日常を保とうと云う意識が先に来るほうで、咄嗟に慌てふためくことはないと思っており、今回もそんな感じに行動しつつあったが、今回ばかりは大したことがあった。



気がつくと窓が割れそうなくらい振れ動いている電気の近くにいて、もう少し大きな揺れがくれば、被害をうけていたかもしれない。余り慌てないのも考えものである。いや、体が地震に対応しきれなくて、立ち往生していただけなのかもしれない。いずれにしても、すばやく安全な地帯に体を移動するというベストな行動は出来なかった。
日頃、視覚的なものや文章などに携わっているせいか「観察」「認識把握」が身についてしまっているのが、体自身を咄嗟に動かすよりも、事態に対する頭の整理をついつい優先させた結果かもしれない。或いは、本に没頭していたからかもしれない。
ぐわんぐわん揺れるその電気をみて、「おお揺れてる揺れてる、面白いくらい揺れてるな」とそう認識し、それから初めて「我」に返り、体が飛び退いた。


フロアのあちこちから日頃聴かない、腹の底からのどよめきというかざわめきのような声が漏れてくる。暫くして地震はおさまる。平常心に戻ろうと思って、再び本を読みだそうとしたが(これこそが平常心ではないのだが)、気がつくと多くの人が外に出て、フロアには人が少なくなっている。これはタダの地震ではないな、とその時初めて思い、食器をカウンターに戻してから、外に出る。外にはすでに人だかりができており、みんな携帯を手にしている。
僕も携帯を取り出して電話をしたが、すでに通じない。回線が混乱しているらしい。ああ、もう少し速く電話すればよかったなあと思いながら、とりあえず自転車で家まで帰ってみようと思う。




自転車で帰る道すがら、みんな不安そうな街の人が居る。しかし全く平然としている人も居る。「これが関東大震災なのか、なんだか思ったよりも実感がないな?」と思いながら、自転車で5分もしないうちに家に着く。一見すると町並みはまったく正常であり、何も変ったことは見られない。
しかし家の中に入ったとたん、唖然とした。本と云う本が殆どすべて棚から落ちており、床は足の踏み場もなかった。パソコンも何もかも本の山の中にあって、大丈夫なのかそうでないのかもわからない。ただ、棚は一つも倒れる事がなく、相変わらず同じ位置に鎮座しており、多くの書籍を吐き出しただけで済んだようである。デジカメがたまたま机の取り出せるところにあったので、せっかくだからこの有様を撮影しておこうと思い、何枚か写真をとる。テレビもまだ点くし(本の山をかき分けて点けた)、ガスもとおっている。幸い台所のガラス類は何も割れていないようだ。




東北地方で大地震が発生したと云う。東京も震度5強だと云う。それで、何か直下型の地震と云う感じでもないのが納得できたし、大震災のようで、大変なのだが、町並みも含めて思ったよりもそんなに破壊されていない感じなのも納得ができた。東京は震度6以上ではなかった。しかし、震度5よりは強い。僕が生まれてから経験した最大の地震震度5であったので、たしかに、経験したことはない大地震であったことは確かだったが、テレビで見ているような震度6以上の大震災よりは被害が少ないと云う事を納得できる。


とりあえず、片付けようと思った。余震が来ている中、本をまた積み上げるのは危険だとは思ったが、足の踏み場が全くないのはやっぱりどうしようもない。足の踏み場を少しずつ作ってゆく。予想よりもさまざまに崩れており、なかなか進まない。その間にも知人や家族にも連絡をとってみるけれども、不通である。メールが来た。関西に住んでいるama2k46の、アラザル同人宛への無事確認一斉送信メールである。メールは通じるのか。家族や友人たちにもメールを送ってみる。
パソコンを救出しようと思い立ち、本の山をかき分けて本体を取り出す。どうやら無事らしい。パソコンの前に置かれた本の山が一斉にパソコンに降りかかったのでもうだめかと思っていたが、まったく支障はなかった。たぶん多くの本たちは、パソコンに降りかかる前に、すぐ横に設置してある可動式のライトの上にまず落ちたらしくて、それがよかったらしい。ちなみにライトも「可動式」だったからか、損傷はなかった。


skypeを立ち上げてみる。TCと繋がる。TCはたまたまインフルエンザに罹り会社を休んでいたと云うこと。しかし普通にskypeが通じると云うことには驚く。本の山を尻目に暫くチャット。人と繋がっていると云う非常なる安心感。




それから家の中を黙々と片付ける。その間にも、家電で、何回か実家へかけたり知人友人にかけたりする。だいたい繋がらないが、何回かかけたりすると、繋がることがある。その他SNSなどでも、家族とだいたいの友人は無事らしい。ひとまず安心だ。
ただ、交通機関が麻痺してしまい、帰れない人が続出とのこと、今日いっぱいの復帰の見込みはないと云うので、やはり東京においても大地震なんだなあとじわじわと実感が出てくる。
何だかひとつひとつ本を積み上げて元通りにしていくうちに、街のほうはどうなったのかをもう一回見てこようと云う気持ちになる。




荻窪駅周辺に自転車でもう一回出てみると、何と駅前の本屋さんは全然被害がなかったようで、立ち読みしているお客さんが結構居るのには驚いた。その隣のブックオフは臨時閉店。ただ、店から本が落っこちている形跡はないので安心する。しかしそれなら何で家の本が・・・と云う疑問がおこったが、あとで親に電話で「だってあんたの家、ありえないつみ方してるから。それに木造の2階だからじゃないの」と云われたので納得する。確かにちょっと無理なつみ方をしていた、ドンキの店頭お菓子棚の一部は崩れていた。とりあえず街は、普段とは少し違うもののそんなに酷くは混乱していないので安心して戻る。




そのあと夜まで黙々と本を片付ける。夜、作り置きのカレーライスを食べる。その時はガスが点いていたのだが、深夜、点かなくなる。風呂も入れず。本などの片付けは3時過ぎから初めて12時くらいまでかかってやっと元通りになってきた。(この震災で使えなくなったものはなくてよかった。)
片付けている間、テレビで刻々と状況が入ってくる。東北の津波の被害が甚大らしい。マグニチュードも8.4に修正され、特に気仙沼の燃え上がった風景はまさに地獄絵図そのもので、東京大空襲のような恐ろしい光景であった。ただ、上空からの撮影で夜からだったので、なんとなく湾岸戦争のような現実感のない光景である。市川のタンクも燃えている。マグニチュードも8・8にさらに修正される。あれよあれよという感じで、まだ、現実感が完全にない。twitterでは続々といろんな情報が入る。が、僕のネットブックの容量が足りないのかなんなのか、震災前からつぶやけなかったりリツイート出来なくなることが往々にしてあったこともあり、暫くはつぶやくのをやめて事態を見守ろうと思う。
夜、kk、ama2k46とskype
片付けている時は、なんとか平常心のようだったしいまいち現実感もなかったし、一種の昂揚感もあったのだが、夜になるにつれて、だんだん鬱になってくる。




余震のなか、あかりを点けて、普段着を着たまま眠る。電気が消えないのが救いだ。