3月13日、東京都杉並区・練馬区、東日本大地震



・昼過ぎに起きたら非常に気持ち悪く頭が痛い。朝9時まで飲んでいた所為だ。これでは堪らないので、コンビニに行って、胃腸薬を買う。いつもであればそれで直ぐにすっきりするのだろうが、全然スッキリしない。コンビニには殆ど食糧がないのを実感する。


・テレビで南三陸町津波の映像が余りにすさまじく生々しいので、震え上がる。異常なほど気持ち悪くなる。そればかりではなく「直接」津波が迫ってくる映像が次々といろんなバリエーションで、繰り返し放映される。
最初の気仙沼の火事のような、宛ら東京大空襲のような、湾岸戦争のような映像は、確かにこれは凄まじい地獄絵図に違いないのだが、「直接」ではなく、やはり「観る」と云う態度を保持することが出来た。航空写真とか、ヘリコプターから観た視点と云うのは、どこか自分自身の危険から遠いように思ってしまうような気持ちがするものなのかもしれない。どこか、シュミレーションのような「感覚」があるのかもしれない。まるで三島由紀夫が描く、綿密な調査に基づいた事件描写のような、もっと云えば『金閣寺』の炎上のような、はたまた芥川龍之介の描く『地獄変』の炎のような「感覚」に、ついつい、なってしまう。夜だったからだろうか。
・・・それを引き戻すために、実際にこれは大変なのだからこれは現実に大変なのだと積極的に思うことで、自分の気持ちを倫理的におとしこむような感覚かもしれない。


しかし南三陸町の映像や、続々と入ってくる、津波から実際に人が逃げまどう姿はもはや「観る」ことが出来ない。もはやじかに迫ってくるし、皮膚感空気感その他、「現実」であると云う事をいやというほど刷り込まされる。あまりに直接的であるが故、映像なのに「映像」として全く捉えられない。現実的に文字通り、「体感」してしまうのである。それを嫌と云うほど繰り返し見せられる。如何にフラットにあの映像を観ようとしても、もはやそれは不可能である。


・宿酔いで気持ち悪い処に、余りに、この地震の、予想以上の以上に凄まじい規模と実態の、「実感」が、三日目に於いて、ついに僕の心の奥底まで到達したのである。最早、東京の街が如何に普通どおりでも、逃げ場がないように追い込まれてしまう。昨日のototo詩で得られたポジティブなパワーも全く対抗できるものではない。絶望が全感覚を襲う。
子供に津波の時の映像を繰り返し見せるなというツイートが流れていたが、子供でなくてもこれは体に悪い。例によって、テレビを消せばよいのかもしれないけれども、思わず目を見張ってしまうし、消すこともできずに、なし崩しに何時までもテレビを眺めているようになってしまった。
「実感」が、「実感」以上に、生理的にクルようになってしまったのだ。


・あまりに辛いので、Mに会いに行く。Mもいろいろバタバタしていて疲れているのだが、よくフォローしてくれた。ジョナサンやモスに行ったりして、少し気持ちが楽になる。


・結局夜まで完全には恢復せず。早く寝る。