3月14日、東京都杉並区、東日本大地震、スーパー




・世間は震災が起こってから初めての平日である。電車が輪番停電の影響で混乱しており、twittermixiでみていても自宅待機になっていたりする人が多い。学校も休みになっている。もとより僕は月曜は休みであるのだが。
もはや、「映像」と云うものを超え出て、テレビの中からあふれて来る心を抉るような生々しい感覚。テレビだけではなく現実に住むここらへんにもじかにそう云ったものが、ジワリジワリと確実に影響してきているのが、はたまた嫌と云うほど「実感」される。
時代が変わってしまったかのようである。実際、変わったのかもしれない。変わったのだろう。
ひょっとしたら、昭和天皇崩御した以上の節目なのではないか?そして、阪神大震災オウム事件の1995年も、思い出す。もしかしたら、アメリカにとっての、「9.11」の衝撃に近いのかもしれない。いや、もちろんそう云う風な図式には捉えられないかもしれない・・・が、とにかく、これを節目に新たな時代としてポジティブに日本を「復興」させていくことが出来るだろうか。



・起きてからずっとテレビから離れられない。ただただ流れている映像に自分がどんどん無気力になっているのだけが、ひしひしと解る。解るからと云って、どうしようもない。みんな旺盛な活力で前向きにつぶやいているが、偉いとは思うけどとてもではないが、そのような積極性が出ない。大体いまだに、パソコンの影響かツイートしようと思ってもツイート出来ない(更新されない)事がある。もうしばらく、完全にみる側に徹しようと思う。


・併し、食糧だけは買いに行かねばなるまい。昨日で完全に食糧が尽きたのだ。新たに買い出しに行かなければいけないのだが、これがまた憂鬱である。昨日や一昨日のコンビニの状況をみれば、スーパーの状態は如何にかということは何となく解るからだ。しかも花粉が物凄い。朝から信じられないくらい飛んでいて、鼻をかむと、血が滲む。そして直ぐに詰まる。苦しいし、ぼうっとする。無気力に拍車をかける。
漸く重たい腰をあげて、鷺宮のOKまで買い出しに行く。中に入るまで、全く食材がないのではないかとこわごわ見ると、オレンジが積み上げられているので安心する。




・店内は、そんなに混んでいるわけではなかった。レジにもそんなに並んでいるわけではない。ところどころ売切れているが、白菜も人参もじゃがいもも、あった。魚も豚肉もまだ置いてある。併し、なぜか鶏肉が全く置いていない。どういうことなのだろう。あとはティッシュペーパーやトイレットペーパー、米など、そういったものは全く置いていなかった。ただトイレットペーパーやティッシュペーパー、米は、震災前に買ってあったので備えはあるから当分は問題ないので、それはよかった。

ふと店内の上のほうをみると、店の奥のところに「レジ6番順番待ち」という張り紙がいまだに生々しく貼ってある。きっと、一昨日くらいにこの店に「群衆」が殺到したのだと思うとぞっとする。(12日に、たぶんototo詩に行かずにOKに行っていれば、この群衆の渦に巻き込まれたであろう)
今日買えたような食料品は、きっと新しく入荷されたばかりだったのだろう。とるもとりあえず、まず、何日か生きるための食料品を手に入れる事ができてよかった。




・鍋を作る。五日分くらいは作れたのではないだろうか。当分はこれで最低限の食生活は保たれる。




・実家は八王子の先、みなみ野にあるので、帰ることができない。横浜線全線運休のため。天沼は輪番停電地区外であるが、みなみ野や八王子あたりは、輪番停電の地区らしい。


・鍋を作る以外、何もモチベーションが湧かず。テレビを見続けてしまう。疲れたので、早く寝る。