風、春木家、大雑把




・やたら風が強い。久しぶりに春木家に行く。昔、きいたことがあるのだけれど、基本は「昔ながら」の味を保ちつつ、毎年毎年、「いま」にマッチした味を追及している面もあって、少しずつ違えていっているのだとか。春木家が出来た当初の復刻ラーメンを食べたときに、ああ、確かに随分違うものだなあと思った。
そんなこんなことを憶い出しつつ一杯目のスープを啜ると、こころなしいつもよりダシが強い気がする。起きてから最初に口につけたものが、このスープだったからというのもあるのだろうか。それがまた美味しく感じる。しかし何杯か啜り、麺をずるずるっとやると、もう、いつもの春木家の味がくちじゅうに拡がっているのであった。


・春木家のラーメンのすごいことのひとつは、「後味がものすごく良い」ことである。今現在、食べてから四時間もたっているが、いまだに、おなかから口にかけて、仄かにあの爽やかでいて渋くまろみとコクのある味が漂っている。それがとても心地よいのだ。



・春木家の店の人は僕を何時も覚えてくれていて、僕のときだけ「まいどっ」と云ってくれる。荻窪周辺にはいくつかそういうお店ができた。
ブックオフベローチェのように、いくら行ってもお店の人と客が殆ど関わりができないフラットなチェーン店やフランチャイズなども、すごく疲れていて人間関係が煩わしくなっているときなどにふらっと入ると、こんがらがったしがらみから「独り」になることができ、頭の中が整理され、リフレッシュすることも往々にしてある。が、当然ながらこういうような「顔が見える」お店と云うのができると、とても嬉しいものだし、定期的に顔を出したくなるし、顔をみたくなる。
今日も春木家にTさんが居たのでちょっと嬉しかった。こないだもMと一緒に邪宗門に立ち寄ったら、いつものおばあさんが出迎えてくれた。



・そう云えばベローチェのNさんはどうしたかな、最近みないな。ブックオフのNさんは今日も飛び回っていたけれど。こういうフラットな店でも、よく行くお店の店員は、やっぱり、気になってしまうものかもしれない。





・グループ展も終わり、ちょっと気が抜けて、無意識に大雑把になってしまっているのだろうか。ひとに対する気持ちとかそういう繊細なものに対する配慮が、すこし抜けている感じ。K先生にそのことを指摘してもらう。忠言していただくと云うことは、とてもありがたい。拝聴、感謝し、謝る。



・専門学校三年生の「ドローイング」の授業。学生にひたすら「線」で表現させていると、最初は「じぶん」の範囲内のイメージで描いていた硬い線が、だんだんのびやかになって、自由闊達にリズムをもって画面を動き回り、「じぶん」ではなくて、ある種の「世界」を形成してくるさまがよくわかる。その時、じぶんが思っていた「じぶん」の性質とはまた違った面の<線>が出て来ている。
僕も、アラザルの文章をどうやって書こうかとか悩む前に、いろんな文章を兎に角書いてみる事なのかなと思う。まずはウォーミングアップに、いくつかレビューみたいなものを書いてみてもいいか。