ほどほど





・専門学校の新入生歓迎会。非常に愉しいひととき!



・デッサンは、指圧のツボをみつけていくようなものだ。







・考えすぎの人と云うのは、居るものである。(僕も、どちらかと云うと、そういう部類に入りがちの人間である。)
普段はラフで「好い加減」ができるが、いったん何か神経質に思いこみだすと、どんどん妄想が膨らみ、その妄想に関わることになるとちょっとしたことでも神経質に反応してしまう、<そう云う傾向がある>人と云うのは僕の周りに多いし、実際僕もそうだ。


・どんな神経質な人間でも、どんなおおらかな人間でも、どんな優秀な人でも、「好い加減」がたまには「イイカゲン」になったりするし、ボロがでることがある。それは普段ちゃんとしている(ちゃんとしてみえる)人ほど、期待している人ほど、(お互いにある程度の)好感を持っている人ほど、なんだか気になってしまうものだ。
<そう云う傾向がある>人は、そう云う時、どんどんどんどん思考が回って、ぐるぐる考え出す。たいてい、考えれば考えるほど、その標的となっている人のちょっとでも良くない傾向を探り出し、つなげていく。だいたい、最終的に、どうしても我慢ができなくて、眠れないくらい標的の人を考えてしまうのがオチだったりするし、またそういう時は、大体において自分自身が物凄く相手を考えて諭してやるんだといった、ちょっと傲慢な態度になっていたりもする。


・・・どうしても我慢ならないのであれば、やっぱり本人に直接云った方がいいのだと思う。ただ、頭ごなしに「ダメだ」と大上段に怒っても、逆効果になってしまうことも往々にしてあるのでややこしい。ただ、そんなことを考え出すと、余計気を使って、ストレスを貯めていく。
やっぱり、そういう時は、たとえ頭ごなしになってしまったりしても、云ってみたほうが良いような気がする。(ただ、やはりそれはある程度の信頼感と気持ちみたいなのがないと無理だろう。)


だいたい、普段考えすぎだったり神経質な人であれば、一回云えば充分に理解しているのだ。だから、それ以上深追いする必要はないのである。神経質な人には、あんまりぐちぐち云いすぎてはだめなのだ。一回云えば充分なのに、過剰になってしまうと、今度は云えば云うほど泥沼試合になっていく。一回云って、過不足なく解っていたことが、今度は過剰に考えさせすぎる事で、本質を曇らせてしまうし、かえって云いたいことが伝わらず、余計なストレスを相手に与える事になり、それこそ不要ないがみあいのもとをつくってしまうだろう。


一回、相手に伝えたならば、もうそれでよいのだ。
そうしたら、相手を信頼して、おおらかな、てきとうな、「良い加減」な気持ちを取り戻すことが急務だ。そして、少し長いスパンの視点を取り戻し、冷静になる。それが神経質もの同士の関わり合いの中で、それが、いちばんの薬なんだと思う。
いつまでもぐちぐちぐちぐち拘っていると、尻の穴がちいせえやつだと思われる。だから、適当に切り上げることが肝要だし、めりはりをつけるべし。