日曜日




・風景画教室。東京駅近くの三菱一号館。まわりは四角いビル群ばかりのただなかに煉瓦造で再現された建物である。冬にも二度ほど描いたけれども、その時は寒くて寒くて大変だった思い出があるが、今回は勿論暖かい日和で心地よく教えられたし、自分でも描けた。三菱一号館は、拘れば拘るほど描きどころが多すぎるので、ついつい時間をかけて描写してしまいたくなるところだけれども、切りの良いところでどこか大まかに纏めて雰囲気をださないと、万遍なく説明しすぎて、絵が単調になりがちである。そこを考慮しながら、二週で仕上げることにする。


・風景画教室が終わって、東京駅近くの喫茶&軽食中心であろうお店に入るが、流石東京駅近くだけあって、そんなさりげない大衆的なお店でも高級感が迸っている。西洋の「カッフェー」と云うイメージ。ひざかけを用意された時にはびっくり。こういうお店は横浜関内エリアとか銀座とか何かと相当リッチなところにしかないだろう。ランチで豚の香草焼きがあったので、それをいただく。バルサミコがよく効いていたし、何よりも豚がこんなに柔らかく調理されているのは珍しいというくらい柔らかかった。唯一の難点は、前菜に出てきた野菜が、少しふかふかだったこと。もう少しシャキッと新鮮なものを出してほしいところだ。




・それから、ルネこだいらで、東大のOBオーケストラである「東大フィル・グラデュエイト・オーケストラ」を観に行く。 http://d.hatena.ne.jp/todaiphil-g/
高校時代からの親友である大沼太兵衛がブラームス交響曲二番を振った。大規模なオーケストラでの大作の演奏なので、相当な実力でないと、曲として成り立たせるのは至難の業であると思うが、それに対して恐れることなく、ドンキホーテの如く正面からぶつかって曲と向かい合おうとした気持ちがよく伝わる。
一つ一つのフレーズに対して彼が団員に要求した細部のイメージが、物凄くよく伝わってくる。(まるで彼のことばの一つ一つをきいているようなところがある!)彼の拘りがよくわかるけれど、併しあまりにそれがクリア―過ぎるゆえに、団員が何となく受け流したり逃げたりすることが出来ずに、場合によっては打ち破れるさまと、ツボにはまるときとがあるように思った。のたうちまわり、格闘する彼が、或る意味滑稽にまで感じられ、それが感動的でもあった。
結果として、洗練された「音楽」とは遠いもので、まだまだ全体としての流れや構成はばらばらしていて、全体的な「音楽」としての「交響曲」を聴かせてくれるところまでは至っていなかった気がするが、それは、まだオーケストラの音のグラデーション段階が決定的に少ないのが恐らく最大のネックになっているのだろう。併し、オーケストラの実力云々と云うよりも、色んな角度に於いて大沼じしんの実力でまだまだ引き上げられるのではないだろうかと云う気がとてもする。(大沼にもう少しあればいいなと思うことは、やはり全体としての組み立てとしての音楽の「流れ」と云う意識だろう。絵画であれば、物凄くひとつひとつの描写には拘っていて魅力的なんだけれど、デッサンが狂っているなあというような。絵画であれば、「あまり近くでばかり描かないで、もう少し絵から引いて全体を観てみたら」、と云うところなんだけれど。)

ただ、繰り返すけれども細かいところは、大沼の拘りが団員に非常に共感理解されている箇所が随所に感じられ、それがとてもうれしい。各パートのフレーズや音色がとても鮮明に立現われて来て、それがうまく行こうが行くまいが、非常にその楽器や演奏者、そして大沼の「顔」がみえてきている。それが交響曲の随所に詰まってきているようであり、所謂眠くなるような「つまらない」箇所がなく、最初から最後まで興味深く、はらはらと(色んな意味で)、新鮮な感覚で聴けた。いい演奏会だったと思う。





・同じオケで、先に別のひとが指揮を振って居たのを聴いたので、尚更指揮者によっての個性や拘りのようなもの、あるもの、ないものがハッキリ判った。もうひとりのひとのほうは、下手糞ではないかもしれないが、つまんなく感じられてしまった。メリハリ、全体的にハリがほしい。もう少し「拘り」がほしい。





・演奏会の帰り、一緒に聴きに来ていた母親とKKとお茶して帰る。
会場近辺で十年ぶりに、音楽マニアの二人組に遭遇した。高校時代の同級であるMやMにも久しぶりにあった。ふたりとも一時期は随分と老けた気がしたけれども、今回はスッキリしていて若返って居たのには吃驚。人は若返ることもある。夜、中野、KHと飲む。色々と聞く。カラオケに行く。