写真と≪詩人の血≫




・昨日深夜、ジャン・コクトー≪詩人の血≫を観る。全てに於いて徴候的な事柄を体現している。不条理、不安、欲望・・・人間の意識下に眠るものたちが表に出る。表と裏が逆になる。実態あるものが透明になり、偶像は人間に、人間は偶像になり、偶像は破壊されると人間は偶像になる。個体は砕けて砂になり、砂になった個体は人間を蔽って偶像にしてしまう。覘き穴で色んな状況を垣間見る。それにしても何故覘き穴?鍵穴?劇がほんとうに、ほんとうは劇に。鏡の世界は現実になる。


・そう云えば昨日の≪砂の女≫、エチオピアに行ったときに観たラリベラの石窟寺院を想い出してしまったのだ。



・写真に関して云うと、シャッターを二千分の一で切ろうとと六十秒間で切ろうと、要するに時間が流れて居るものを撮るのである。そこに流れている移ろいを切り取るのである。継時的なのである。だからだぶっていたって全然おかしくはない。寧ろリアルにすら見える。瞬間なんて既成概念はもう一度解体してみるべき。